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拉致被害者「8人」死亡の情報に沈痛な小泉首相

平成政治の興亡 私が見た権力者たち(13)

星浩 政治ジャーナリスト

新聞の一面を飾った「日朝共同宣言」の概要

 9月5日、私は政府関係者から小泉訪朝時に発表する「日朝共同宣言」の概要を聞いた。それは以下のような内容だった。

①日本による植民地支配への謝罪は「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」とした1995年の村山首相談話を踏襲する
②北朝鮮が求める「補償」は経済協力方式で実施する
③北朝鮮はミサイル発射実験の凍結を継続する
④拉致問題は「人道問題」として対処する

 息せき切って記事を書き、翌日の朝日新聞朝刊の一面トップを飾った。

 首相訪朝に向け、メディアの報道合戦は熱を帯びた。そんななか、拉致事件の被害者など詳細は明らかになっていなかった。

「5人生存、8人死亡」情報の衝撃

 9月17日。小泉首相を乗せた政府専用機は羽田空港を飛び立ち、午前9時15分、平壌の順安空港に到着。日本の首相が初めて北朝鮮の地に降り立った。百花園迎賓館での首脳会談に先立ち、田中氏は北朝鮮外務省の馬哲洙アジア局長との局長級協議に出席。そこで北朝鮮側は拉致被害者の安否リストを手渡された。「5人生存、8人死亡」。衝撃の情報だった。

 生存者は蓮池薫・富貴恵、池村保志・祐木子両夫妻と曽我ひとみさん。横田めぐみさん、有本恵子さんらは死亡したという。田中氏が小泉首相に報告すると、小泉氏は沈痛な表情で、しばらく目をつぶっていたという。

 首脳会談が始まったのは、直後の午前11時。冒頭、小泉首相と金正日総書記が握手。金氏は「近くて遠い国という関係に終止符を打つために来てくれたことをうれしく思う」などと述べた。小泉氏は「日本は国交正常化に真剣に取り組む用意があるが、正常化を進めるには拉致問題をはじめ安全保障上の問題などに北朝鮮が誠意を持って取り組むことが必要だ」と強調。さらに「拉致問題で情報が提供されたが、8人死亡は大きなショックであり、強く抗議する」と述べた。

北朝鮮の金正日総書記(左)との初めての首脳会談に臨む小泉純一郎首相=2002年9月17日、北朝鮮・平壌市の百花園迎賓館 
拡大北朝鮮の金正日総書記(左)との初めての首脳会談に臨む小泉純一郎首相=2002年9月17日、北朝鮮・平壌市の百花園迎賓館

 その後、昼食休憩に入り、日本側は対応を話し合った。同行していた安倍晋三官房副長官は「金正日が拉致を認め謝罪しなければ、共同宣言に同意すべきではありません」と進言した。

 午後2時に再開した首脳会談の冒頭、金総書記は拉致問題に触れて謝罪。日本側の出席者の一人は「昼食休憩時のやりとりが盗聴されていた」と感じた。金総書記は「誠に忌まわしい出来事だ。この場で遺憾であったことを率直におわびしたい。70年代、80年代初めまで特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走った」と語った。北朝鮮の最高指導者が初めて拉致問題を認め、謝罪した瞬間だった。

5人の帰国に待ったをかけた安倍官房副長官

 これを受け、両首脳は平壌宣言に署名。宣言には①国交正常化の早期実現②「過去」に対する日本側の「痛切な反省と心からのおわび」③国交正常化後の経済協力④「日本国民の生命と安全に関わる懸案」についての北朝鮮側の遺憾表明⑤核・ミサイルに関わる国際的合意の遵守、などが盛り込まれた。

 小泉首相は記者会見で、拉致問題について「帰国を果たせず亡くなった方々のことを思うと痛恨の極みだ」と述べた。小泉氏は17日深夜に羽田空港に戻る。国交正常化交渉は再開されたが、拉致被害者の死亡という衝撃の事実が明らかになった、長い一日だった。朝日新聞の検証記事は「歴史が動き悲劇が残った」と報じた。

北朝鮮から24年ぶりに帰国した拉致被害者。チャーター機から降りる、前列右から地村保志さん、浜本富貴恵さん、2列目右から蓮池薫さん、奥土祐木子さん、その左奥は曽我ひとみさん=2002年10月15日  
拡大北朝鮮から24年ぶりに帰国した拉致被害者。チャーター機から降りる、前列右から地村保志さん、浜本富貴恵さん、2列目右から蓮池薫さん、奥土祐木子さん、その左奥は曽我ひとみさん=2002年10月15日
 10月15日には蓮池、池村両夫妻と曽我ひとみさんの5人が帰国。福田官房長官は「一時帰国」と強調した。北朝鮮との話し合いで、5人はいったん北朝鮮に戻り、家族と共に再度帰国することになっていたからだ。それに待ったをかけたのが安倍官房副長官だった。5人を帰すべきではないと強硬に主張。政府部内で協議した結果、5人はそのまま日本にとどまることになった。

 一方、「死亡」と伝えられた8人については、北朝鮮側の説明に不自然な点が多く、被害者家族から「納得できない」という不満が噴出した。

 北朝鮮をめぐる問題は、その後、核開発の動きが再び発覚。南北朝鮮と日米中露の6カ国による協議が重ねられた。それでも、北朝鮮の核・ミサイル開発は続き、トランプ米大統領と金正恩・朝鮮労働党委員長との首脳会談による打開が模索されている。拉致問題は2004年5月に小泉首相が再度訪朝し、拉致被害者の家族が帰国したが、その後は目立った進展がないまま膠着(こうちゃく)状態が続いている。


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筆者

星浩

星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト

1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。

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