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拉致被害者「8人」死亡の情報に沈痛な小泉首相

平成政治の興亡 私が見た権力者たち(13)

星浩 政治ジャーナリスト

イラク戦争とその後の泥沼

 日朝関係が動いていた時期、ブッシュ米政権とイラクのサダム・フセイン大統領が神経戦を繰り広げていた。

 同時多発テロを受け、ブッシュ政権はアフガニスタンのタリバン政権を崩壊させた後も、「テロリストをかくまう者はテロリストと同罪」と主張し、大量破壊兵器の査察を受け入れないイラクを非難。2003年2月、パウエル米国務長官は国連安保理の外相会合で、アメリカの独自情報として、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていると断言した。

米英がイラクを攻撃。イラク戦争開戦について記者からの質問に答える小泉純一郎首相=2003年3月22日
拡大米英がイラクを攻撃。イラク戦争開戦について記者からの質問に答える小泉純一郎首相=2003年3月22日
 イラク側が譲歩しないなか、ブッシュ大統領は米東部時間の3月19日午後10時15分(日本時間3月20日午後零時15分)、イラクへの攻撃を命じたと宣言。トマホーク・ミサイルがバグダッドに撃ち込まれた。イギリスも軍事行動に加わった。イラク戦争の開戦である。

 小泉首相はただちに「支持」を発表。野党は国連決議を経ない武力行使に反対を表明した。国際社会でも、フランス、ドイツが反発するなど反応は分かれた。それでも英米軍はイラク国内に攻め入り、開戦から21日後の4月9日に首都バグダッドが陥落。巨大なサダム・フセイン像が倒される映像が世界中に伝えられた。

 私は朝日新聞本社の編集委員室で、その映像を見ていた。傍らで、中東事情に詳しい同僚の記者がつぶやいた。「これは降参ではない。兵士の帰宅だ」。イラク兵の多くは米英軍と戦うことを避けて、自宅に帰っている。米軍が進駐してきたら、彼らは隠し持った武器を持って反撃するだろう、というのがその記者の解説だった。

 その後の展開は、この解説通りになった。米軍はイラクを占領したものの各地で反撃を受け、泥沼に陥っていく。

禍根を残した自衛隊のイラク派遣

 小泉首相の「支持」表明を受け、日本政府はイラクへの自衛隊派遣を決める。「非戦闘地域」への派遣なら、憲法が禁ずる海外での武力行使に当たらないという解釈で、6月にイラク派遣特別措置法案を国会に提出した。審議の過程で小泉首相は、「どこが非戦闘地域か、私に聞かれても分からない」「自衛隊のいる地域が非戦闘地域だ」といった「珍答弁」を繰り返したが、自民党が採決を押し切り、法案は7月26日に成立した。

 11月、悲劇が起きる。29日、イラク西部のティクリット付近で在バグダッド日本大使館の奥克彦参事官と井ノ上正盛書記官が殺害されたのだ。

イラク・サマワの陸上自衛隊宿営地に掲揚された日の丸=2004年2月28日拡大イラク・サマワの陸上自衛隊宿営地に掲揚された日の丸=2004年2月28日
 奥氏らはイラク復興支援のための会議に向かう途中だった。イラク復興に尽力していた外交官の死は、日本国内に衝撃を与え、自衛隊派遣にも慎重論が出たが、小泉首相はアメリカとの関係を重視し、派遣計画を変えなかった。

 2004年2月には、特措法に基づき陸上自衛隊がイラクのサマワに派遣される。「大量破壊兵器」の存在が確認されないままの戦争であり、さらに「非戦闘地域」の内容も曖昧(あいまい)なままの自衛隊派遣である。「海外で武力行使をしない」ことを原則としてきた日本の外交・安全保障政策をなし崩しに転換したことは、大きな禍根を残した。

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筆者

星浩

星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト

1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。

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