三浦俊章(みうら・としあき) 朝日新聞編集委員
朝日新聞ワシントン特派員、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター、日曜版GLOBE編集長などを経て、2014年から現職。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
二つの改元を見た記者が考える平成の30年(上)
平成改元の記者会見のとき、小渕官房長官はひどく緊張していた。着席すると一瞬天をあおいで、深呼吸をし、あわただしく眼鏡を直した。手もとも落ち着かない。マイクに入るほど大きな音を立てて、発表用の紙を広げた。
長官が感じた重圧は、会見に出席していた記者も共有していた。平成改元は、新しい時代の始まりというよりも、昭和という巨大な時代の終焉(しゅうえん)だと受け止められていたのだ。
昭和とは、くっきりとした輪郭でとらえられる時代である。無謀な戦争に突入して破滅に至った「戦前・戦中」。廃墟から復興し、経済大国となった「戦後」。そして、ふたつの昭和を、ひとりで体現する人物がいた。それが昭和天皇だった。「英明な君主」と称えられる一方、戦争責任をめぐる論争が、晩年まで止むことはなかった。
1989年1月7日とは、その昭和天皇が逝去した日であり、その結果、新元号が発表されたのである。当日の朝日新聞の夕刊の見出しは、横に大きく「天皇陛下 崩御」、二番目に縦の見出しで「新元号『平成』」とある。三番目の見出しは、「激動の昭和終わる」だった。
1988年9月19日に昭和天皇が大量の下血をして以来、政府もメディアも「Xデー」に備えていた。111日目に、その日は来た。それだけに、昭和が終わったというインパクトが何よりも強かった。今回、事前に様々な元号案の予想が流れ、発表後も一種の「奉祝ムード」が漂っている風景を見ると、これはまったく新しい事象だなと思う。
それでは平成とはどんな時代だったのだろうか。
1988年6月に、政治記者生活をスタートした私にとって、平成の30年は自分の記者人生とほぼ重なる。平成が始まった当初、私は「新しい政治」の時代が来るのではないか、というぼんやりとした予感、期待を持っていた。
いま思い起こすと、それは三つに大別できる。
① 日本にも政権交代が可能な政党政治の時代が来る
② 東アジアにおける多国間の枠組みができる
③ アジア諸国との歴史和解が進展する
だが、そのいずれも実現しないか、または不十分に終わった。
平成とは「来なかった未来」の時代でもある。なぜ予想は外れたのだろうか。
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