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令和へと替わる平成は「来なかった未来」の時代

二つの改元を見た記者が考える平成の30年(上)

三浦俊章 朝日新聞編集委員

昭和という巨大な時代が終わった平成改元

「平成」の元号を発表する小渕恵三官房長官=1989年1月7日、首相官邸拡大「平成」の元号を発表する小渕恵三官房長官=1989年1月7日、首相官邸
 平成改元の記者会見のとき、小渕官房長官はひどく緊張していた。着席すると一瞬天をあおいで、深呼吸をし、あわただしく眼鏡を直した。手もとも落ち着かない。マイクに入るほど大きな音を立てて、発表用の紙を広げた。

 長官が感じた重圧は、会見に出席していた記者も共有していた。平成改元は、新しい時代の始まりというよりも、昭和という巨大な時代の終焉(しゅうえん)だと受け止められていたのだ。

 昭和とは、くっきりとした輪郭でとらえられる時代である。無謀な戦争に突入して破滅に至った「戦前・戦中」。廃墟から復興し、経済大国となった「戦後」。そして、ふたつの昭和を、ひとりで体現する人物がいた。それが昭和天皇だった。「英明な君主」と称えられる一方、戦争責任をめぐる論争が、晩年まで止むことはなかった。

 1989年1月7日とは、その昭和天皇が逝去した日であり、その結果、新元号が発表されたのである。当日の朝日新聞の夕刊の見出しは、横に大きく「天皇陛下 崩御」、二番目に縦の見出しで「新元号『平成』」とある。三番目の見出しは、「激動の昭和終わる」だった。

期待が外れた平成の30年

昭和天皇の逝去を伝えた朝日新聞号外など拡大昭和天皇の逝去を伝えた朝日新聞号外など
 1988年9月19日に昭和天皇が大量の下血をして以来、政府もメディアも「Xデー」に備えていた。111日目に、その日は来た。それだけに、昭和が終わったというインパクトが何よりも強かった。今回、事前に様々な元号案の予想が流れ、発表後も一種の「奉祝ムード」が漂っている風景を見ると、これはまったく新しい事象だなと思う。

 それでは平成とはどんな時代だったのだろうか。

 1988年6月に、政治記者生活をスタートした私にとって、平成の30年は自分の記者人生とほぼ重なる。平成が始まった当初、私は「新しい政治」の時代が来るのではないか、というぼんやりとした予感、期待を持っていた。

 いま思い起こすと、それは三つに大別できる。

① 日本にも政権交代が可能な政党政治の時代が来る
② 東アジアにおける多国間の枠組みができる
③ アジア諸国との歴史和解が進展する

 だが、そのいずれも実現しないか、または不十分に終わった。

 平成とは「来なかった未来」の時代でもある。なぜ予想は外れたのだろうか。

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筆者

三浦俊章

三浦俊章(みうら・としあき) 朝日新聞編集委員

朝日新聞ワシントン特派員、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター、日曜版GLOBE編集長などを経て、2014年から現職。

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