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令和へと替わる平成は「来なかった未来」の時代

二つの改元を見た記者が考える平成の30年(上)

三浦俊章 朝日新聞編集委員

冷戦終結を前提に立てた三つの予測

 三つの予想の前提には、冷戦が終わったという国際政治の大転換があった。

 戦後日本を規定したのがこの米ソ冷戦だった。1951年に締結したサンフランシスコ講和条約と日米安保条約により、日本は西側の一員として国際社会への復帰が認められた。社会主義勢力に政権を取らせるわけにはいかない、という保守陣営と財界の強い意思が、自民党の長期政権を支えていた。

1989年11月、東西冷戦の終焉を象徴するベルリンの壁が崩壊。写真は、ベルリンの壁解放後初めての日曜日、西側から壁とブランデンブルク門を見ようと集まった東独の市民ら=1989年11月12日 拡大1989年11月、東西冷戦の終焉を象徴するベルリンの壁が崩壊。写真は、ベルリンの壁解放後初めての日曜日、西側から壁とブランデンブルク門を見ようと集まった東独の市民ら=1989年11月12日
 だが、平成初めにソ連も存在しなくなり、政権交代の「リスク」はなくなった。日本でも、他の先進デモクラシー国と同様、政権交代が実現し、国民の関心により応答する政党政治が実現するのではないか、と考えた。

 また、ソ連を仮想敵とする日米安保条約の存在意義も問い直されることになるだろう、と思った。米国は日米安保のコストを再考するかもしれない。東アジアの安全保障について、多国間の枠組みができる可能性も浮上した。90年代初頭に私が担当していた防衛庁(当時)では、アメリカがアジアから手を引くのではないか、と真剣に懸念する声があった。

 アジアとの歴史問題については、冷戦によって凍結されてきたのだから、冷戦が終わる以上、それが浮上するのは避けられない、と予想した。

 歴史問題では、日本とドイツがよく比較されるが、両国の政治的環境の違いが大きい。戦後のドイツは、ヨーロッパ統合のプロセスに参加する以上、周辺国との和解は不可欠であった。また、米国との同盟を強化・維持するためには、米国と強い絆を持つイスラエルとの良好な関係も必要だった。

 いっぽう、日本はといえば、かつての植民地朝鮮は南北に分断され、侵略した中国は共産主義の陣営にいた。日米安保が最優先で、アジアとの和解は後回しだった。だが冷戦後は早晩、ドイツのように歴史問題に取り組まざる状況が来ると思った。

 いずれの予想も、そうはならなかった。なぜか。

日本特有の「二大政党神話」が災い

新元号「令和」について記者会見する安倍晋三首相=2019年4月1日午後、首相官邸拡大新元号「令和」について記者会見する安倍晋三首相=2019年4月1日午後、首相官邸
 2009年の総選挙で民主党が大勝し、初の本格的な政権交代が実現したが、2012年以後は、安倍晋三政権が「安倍一強」体制を続けている。政権交代の政治は突如、固定化した「首相統治」(政治学者の三谷太一郎・東大名誉教授)に転化した。90年代の政治改革を取材していた私の実感では、日本特有の「二大政党神話」が災いしたと思う。

 日本のデモクラシーがうまくいかないのは、政権交代をする二大政党がないからだ、二大政党を可能にする制度改革をしさえすれば、日本の政治はよくなる――という、信仰のようなものがあった。そこには、すでに1970年代から欧米で議論されていた議会制民主主義が多様な国民の声をすくい取れずに行き詰まっている、という問題意識や、制度改革で強化される首相権力をどうチェックするかという議論は、ほとんど見られなかった。

 今日、欧米諸国で、議会による合意形成が難しくなり、政治家がポピュリズムやナショナリズムに訴えたり、強権的なアプローチで押し切ったりする手法が広がっている。野党との合意形成を軽視し、多数派の意思で貫徹しようとする安倍政権は案外、世界の潮流に合う今日的な政治手法なのかもしれない。

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筆者

三浦俊章

三浦俊章(みうら・としあき) 朝日新聞編集委員

朝日新聞ワシントン特派員、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター、日曜版GLOBE編集長などを経て、2014年から現職。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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