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韓国・済州島、71年後の「4.3事件」

文在寅政権下で広く注目されるようになった島民虐殺事件。4月3日を前に島を訪れた

市川速水 朝日新聞編集委員

金大中、盧武鉉、そして文在寅政権が後押し

 済州空港が楕円形の島の最上部だとすると、空港から漢拏山の方に向かって小1時間ドライブすると「済州4.3平和公園」という施設に着く。

 10万坪を超え、公園内でも歩いて移動できないほどの敷地に、2003年ごろから造成され始め、今も整備が拡大し続けている。これら全部の施設に足を運ぼうとすれば、丸1日はかかるだろう。

拡大真っ青な空の下で行方不明者の標石が続く=済州島

 事件が社会的・政治的に認知され、慰霊や関連施設整備にと歯車が回り出したのは、2000年、「済州4.3事件真相究明及び犠牲者名誉回復に関する特別法」が公布されてからだった。

 推し進めたのは民主派勢力初の大統領、金大中(キム・デジュン)氏だった。続く盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権も後押しし、保守政権に戻って若干、停滞したが流れは止まらず、三たび民主派勢力となった文在寅(ムン・ジェイン)政権になって花開いた形となった。

 4.3事件が認知される土壌がつくりあげられるまでには、日韓の民間レベルの、地味で息の長い活動もあった。
まず、在日社会からの、告発にも似た文学作品群だ。特に在日朝鮮人作家、金石範(キム・ソッポム)氏は1950年代から事件をモチーフにした小説を書き始め、1976年から22年間にわたって、超長編「火山島」を文芸誌に連載。大佛次郎賞も受けた。韓国語にも全12巻が翻訳され、増刷されるほど注目を浴びた。

 1980年代後半からは、遺族ら在日社会を中心に、真相究明運動が始まった。在日コリアン社会は戦中も戦後も済州島出身者が多い。大阪との定期旅客船も戦前からあった。軍事政権下の韓国で告発できない事件は、ひそかに日本で語り継がれてもいた。

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筆者

市川速水

市川速水(いちかわ・はやみ) 朝日新聞編集委員

1960年生まれ。一橋大学法学部卒。東京社会部、香港返還(1997年)時の香港特派員。ソウル支局長時代は北朝鮮の核疑惑をめぐる6者協議を取材。中国総局長(北京)時代には習近平国家主席(当時副主席)と会見。2016年9月から現職。著書に「皇室報道」、対談集「朝日vs.産経 ソウル発」(いずれも朝日新聞社)など。

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