【1】ナショナリズム 日本とは何か/「世替わり」の日本 姜尚中氏との対話①
2019年04月18日
日本のナショナリズムを考える旅を始めたい。
ここで言うナショナリズムとは、排他的なものではない。定義が難しい言葉だが、「国家」や「国民」としてのまとまりの追求、ぐらいに考えていただければありがたい。
「国民」にとって、二つの意味で重いことだと思った。
まず、明治に日本が天皇を中心にひとまとまりの近代国家になり、構成員としての「国民」が作られてから、初めての生前譲位であること。もう一つは、その生前譲位をする天皇が戦後の憲法で「国民統合の象徴」とされていることだ。
日本の近現代史で初めてとなる生前譲位を、ただ眺めるだけでなく、「国民」とは何か、その前提となる近代国家としての日本とは何かを見つめ直す機会にできないか。そこから、皇位とともに継がれる日本が見えてくるのではないか。そう考えた。
とはいえ、自転車操業で目の前のネタばかり追ってきた一介の記者には荷が重い。旅の手ほどきを先達にお願いすることにした。姜尚中・東大名誉教授(68)だ。熊本生まれの在日コリアン2世として、日本を内から、そして外から考え続けてきた。
「ナショナリズムが(中略)『生前退位』という思ってもみない『事件』を通じて、改めて日本の国、そして国民の重大な関心事として浮かび上がろうとしている」
ど真ん中の場所で、姜さんと話したいと思った。皇居を一緒に歩きませんかとお願いし、快諾をいただいた。近代国家・日本の原点と言える場所だ。
3月7日の木曜日午前、小雨。姜さんと東京駅の丸の内北口で待ち合わせ、皇居へ向かう。一般参観の人たちと桔梗門をくぐり、大きな待合室へ行く。日本人には年配の女性が多く、お土産コーナーが賑わう。ガイドの事前説明も観光名所のようにくだけた感じだ。
「厳粛な場だけどハレがある。物見遊山のイメージですね」と姜さん。外国人も目立つ。あとで宮内庁に聞くと参加者252人の3割弱だった。昨年に始まった「英語ガイド」、「中国語ガイド」の各組が出た後、姜さんと私は「日本語ガイド」の組で出発した。
濠の向こうにそびえる丸の内のビル街を背にして少し歩くと、石垣や櫓といった江戸城の遺構が現れる。建築に熊本藩も協力したというガイドの説明に、姜さんの顔が緩む。そこを抜けると宮内庁の洋風建築が現れる。坂を上れば宮殿だ。
「江戸城をうまく使っていますね。将軍の居城に天皇が京都から移った。幕藩体制を踏み台に近代国家ができたと知らしめている」
「天皇は戦前は現人神(あらひとがみ)でした。戦後は国民に寄り添いつつ、権威を保つ。その距離感をどう作るか、大変だったでしょう」
宮殿東庭の石畳に馬車の蹄の音が響く。この日はちょうど、ブラジルとナミビアから着任した二人の大使が天皇陛下に宮殿で信任状を奉呈する日だった。それぞれが皇室用の馬車に乗り、正門との間を行き来する様子を見られた。
東庭から正門へ行く途中に二重橋があり、一般参観の一行はそれを渡ったところで折り返す。約1時間の参観が終わりに近づき、また江戸城の遺構のあたりにさしかかった。姜さんは「やはり江戸城をうまく使ってますね」と感じ入って、話し始めた。
「江戸時代に周辺部にいた雄藩による倒幕の後で、明治国家を作らないといけなかった。それまで数百年寸断されてきた中央と地方を混ぜ合わせる。そして、『士農工商』をシャッフルして『国民』を作らないといけなかった。そこに天皇という存在がフィットした。帝(みかど)をいただく国、帝国という形になっていった」
「東アジアに迫る欧米列強に対する尊皇攘夷という当初の原理主義は、開国しつつ独立を保つというリアリズムに変わっていった。初代首相となる伊藤博文らが欧米を視察し、近代国家を支える精神的な柱として天皇を据える。ただ、最初は天皇は多くの人にとってなじみ深くはなかったと思います」
「そんな明治国家のあり方に国民が帰依していくようになったのは、日清戦争、そして決定的には日露戦争での勝利です」。姜さんは、
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