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祝賀ムード一色の「令和フィーバー」は何ものか

新元号をめぐる、節操のない自分や世間にうんざり。せめて考えたいフィーバーの正体

鈴木洋仁 東洋大学研究助手

4月1日に何が決まったのか?

街頭の大型ビジョンに映し出された新元号発表のニュース画面=2019年4月1日午後、東京・秋葉原拡大街頭の大型ビジョンに映し出された新元号発表のニュース画面=2019年4月1日午後、東京・秋葉原
 今回、4月1日に行われたことは、政府による新元号の「決定」にほかなりません。政府は、平成の次の元号を、元号法と、それに関連する昭和54年の閣議報告などに基づいて決め、そして、発表しました。あえて言えば、それだけです。

 もちろん、異例な点はありました。

 まず、普段は火曜日と金曜日に開かれている閣議ではなく、月曜日のお昼前に臨時閣議を開いて決定したこと。そして、閣議で決まったことについて(新元号「令和」ですが)、書を掲げて発表したこと。さらに、これに関連して、「内閣総理大臣談話」を首相みずからが読み上げたこと。

 少なくともこの3点は、確かに、通常の政府による決定とはちがいます。

 しかし、裏を返せば、その3点ぐらいではないでしょうか。繰り返しますが、この日行われたことは、政府が、元号を決めて、発表した、という、それだけだと捉えるのは、不謹慎でしょうか。

 いや、そこまで言うなら、「お前(本稿筆者)が、テレビや新聞で言え」、という話です。そうです。ご指摘の通りです。だからこそ、うんざりしているのです。

生前退位が生んだ祝賀ムード

 私自身、何度もテレビ番組で口にしました。

「今回は、いわゆる『生前退位』のため、前回と異なり、新元号を祝賀ムード一色で受け入れられる」と。

 この“決めゼリフ”は、一連の報道特別番組や、その後のニュースや情報番組でも、幾度となく聞かれたと思います。

的場順三氏=2019年1月16日拡大的場順三氏=2019年1月16日
 今から30年前、昭和から平成に元号が改まった際には、新元号の予想はおろか、「次の元号を準備している」とすら言えなかった、と、当時の担当者(内閣内政審議室長)だった的場順三さんは証言しています。必要不可欠な業務として、改元に備えていた当事者ですら、何をしているのか、口にできなかった、というわけです。

 一世一元、つまりひとりの天皇にひとつの元号。そして、天皇の終身在位。この二つを原則とする現在の日本では、新元号=崩御です。このため、昭和63年に、当時の天皇陛下が体調を崩されると、「Xデー」、すなわち崩御の日が迫っていることが確実ななか、新元号もまた、急いで準備しなければなりませんでした。

 にもかかわらず、そうした準備を進めていることそのものを秘密にしなければならなかったと、的場順三さんはこれまでに何度も証言しています。

 こうした状況と比較すると、今回は、確かに事情がまったく違います。まずもって、崩御による代替わりではありません。換言すれば、新元号は崩御を意味しません。

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筆者

鈴木洋仁

鈴木洋仁(すずき・ひろひと) 東洋大学研究助手

1980年東京都生まれ。2004年京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送入社。その後、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学特任助教を経て現職。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。専門は社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)がある。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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