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平成から令和へ。日本は「戦後」を終えられるか?

二つの改元を見た記者が考える平成の30年(下)

三浦俊章 朝日新聞編集委員

次の時代も「戦争のない時代」であり続けるか

85歳の誕生日前の記者会見で、声を詰まらせながら話す天皇陛下=2018年12月20日拡大85歳の誕生日前の記者会見で、声を詰まらせながら話す天皇陛下=2018年12月20日
 1933年生まれの天皇は、子ども時代を戦争下で過ごした。1931年に始まった満州事変は1937年に日中の全面戦争となり、1941年には太平洋戦争の開戦に至った。11歳のときに日本の敗戦を目の当たりにする。

 そうした戦争経験が、天皇の度重なる国内外の慰霊の旅や、特に沖縄への思いの背景にあるとは想像はしていた。しかし、自分の在位中に戦争がなかったことを、「安堵」という言葉で表現されるとは、驚きであった。

 これは極めて重大な問いかけではないか。

 次の時代もまた、「戦争のない時代」であり続けるのだろうか。

 聞く側の受け取り方かもしれないが、私の心の中には、そういう問いが生じた。

日本に特有な「戦後」のとらえ方

 天皇の言った「戦争のない時代」。それは、私たちが広く共有してきた「戦後」像の中核にあるイメージである。

 「戦後」とは、よく考えてみると、不思議な言葉である。

 そもそも、「戦後」とはいつを指すのか。米国人ならば、「どの戦後か」と問い返すだろう。彼らには、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争と、いくつもの「戦後」がある。欧州で「戦後」といえば、1950年代半ば、戦後復興が一段落したときに終わっている時代だ。

 そういうなかで、ひとり日本のみが、第2次世界大戦から今日までの74年間を、連続する歴史的時間として「戦後」とみなしている。

 なぜだろうか。

 それは、「戦後」が、強い価値がこめられた言葉だからである。

 1945年に軍国日本は無謀な戦争に敗れ、その後、新しい憲法のもとに国民主権の民主主義の国として生まれ変わった。その原点が今日まで変わっていない以上、この70年あまりは、ひとつづきの「戦後」という歴史的時間として、とらえることが可能になる。

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筆者

三浦俊章

三浦俊章(みうら・としあき) 朝日新聞編集委員

朝日新聞ワシントン特派員、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター、日曜版GLOBE編集長などを経て、2014年から現職。

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