【2】ナショナリズム 日本とは何か/「世替わり」の日本 姜尚中氏との対話②
2019年04月25日
皇位が継がれゆくいま、皇居を姜尚中・東大名誉教授(68)と歩いて、日本とは何かを改めて考えた。3月の小雨の中で約1時間の参観を終え、私は姜さんに「世替わりで何が継がれるのでしょう」と問うてみた。
【前回「皇位継承で日本はどこへ 姜尚中氏と皇居を歩く」はこちら】
「象徴天皇制でしょう」と姜さんは答えた。「軍服を着ないで天皇になられたのは、平成が初めてですから」
敗戦後の新憲法で天皇は「日本国と日本国民統合の象徴」となり、形式的な国事行為だけをすると定められた。ただ、昭和天皇は、戦前の日本で統治者として君臨した存在感を、戦後もなお宿した。
長男の天皇陛下は、1989年に即位した時から象徴としての天皇だった。高齢となり、3年前の「おことば」(ビデオメッセージ)に「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが難しくなるのでは」と譲位の望みをにじませた。
「おことば」にあった「日本の皇室がいかに生き生きと社会に内在するか」という発言に、姜さんは驚いたという。
「象徴としてあり続けるためには、存在しているだけでなく、行動していかないといけない。だから今上天皇は被災者の慰問や戦没者の慰霊へ足を運ぶ。地べたに降りて行動しないといけない。象徴天皇制は平成になって本格的に作られたんじゃないか」
その象徴としての天皇が継がれゆく。
3年前の「おことば」に、皇太子殿下は2月の誕生日前の記者会見で「とても心を揺さぶられました」と述べた。「象徴とはどうあるべきか、その望ましいあり方を求め続けることが大切であるとの考えは今も変わっておりません」とも語った。
政治学者の姜さんは、日本の象徴天皇制に「プラスの面」を見る。
「グローバル化時代のキーワードは分断です。象徴と権力を大統領が一身に背負う韓国や米国では、政治のスイングがすごく激しい。でも日本だと、社会の分断に権力(政治)が直面しても、社会の統合が象徴(天皇)によって行われているという安心感があるんです」
姜さんは「最後は国民次第なんです」とボールを投げ返してきた。「天皇と国民は合わせ鏡です。だから新元号で『世替わり』をする時も、天皇を奉って過剰な期待を持ったり、逆に過小評価したりするのはそぐわない。国民がどういう意志を持って象徴天皇にあるべき姿を与えていくかが一番大切なんじゃないかな」
やりとりの場は皇居前広場から、移動中の車内を経て、築地の朝日新聞社の接客室に移っていた。姜さんは議論をぐっと掘り下げ、ナショナリズム、つまり国家や国民とは何かを考える入り口へと私を運んでくれた。
「日本は明治に『士農工商』をシャッフルし、国民を作りました。その国民という存在から成り立つ近代国家に、そもそも安全装置はないんですよ」
近代国家としての日本は天皇を統治者として始まり、敗戦で国民主権・象徴天皇制へがらりと姿を変え、今に至る。だが仕組みがどうあれ、「暴走」を防いでくれる「安全装置」は内蔵されていない。それはどの国も変わらない。
「暴走」については多言を要しまい。近代国家における国民(the nation)を「想像の共同体(Imagined Communities)」と表現した米国の政治学者、ベデネディクト・アンダーソンは、1983年の著書でこう記している。
「国民は一つの共同体として想像される。それは、
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