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異邦人カルロス・ゴーンの癒やされない孤独

「第二の故郷」の日本を追われ、フランスからも冷たい仕打ち。思うのはレバノンか……

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

再逮捕の前日、弁護士事務所を出るカルロス・ゴーン氏=2019年4月3日夜、東京都千代田区再逮捕の前日、弁護士事務所を出るカルロス・ゴーン氏=2019年4月3日夜、東京都千代田区

 カルロス・ゴーン(65)の4回目の逮捕はフランスでも大ニュースだった。容疑は中東を舞台にした資金工作とかで、特捜部は立件に躍起だ。

 彼がどれだけ、“悪いこと”をしたのか、事件記者でないので寡聞にして知らない。ただ、パリで異邦人として暮らしていると、ゴーンの異邦人としての孤独を忖度(そんたく)せざるを得ない。第二の故郷の日本から極悪人扱いされ、国籍のあるフランスからも今や体よく見捨てられたレバノン人、ゴーンの孤独だ。

悪い予感でもしたのか……

 ゴーンは悪い予感でもしたのだろうか。逮捕直前の週末の休日を、寸暇を惜しんで少年時代に過ごしたレバノンの首都ベイルートで楽しんだ(仏週刊誌「ルポワン」)。11月中旬とは言え、ベイルートの気温は20度を超え、体を動かすと汗ばむほどだった。

 ゴーンはレバノン人の祖父がゴムの取引商人として成功したブラジルで生まれた。父親も祖父の仕事を手伝っていたが、6歳のとき、病弱のため、レバノン人の母とともにベイルートに引き上げた。43年に独立するまで、仏領だったので、医療制度はブラジルより、はるかに整っていたからだ。

 小、中学校は、“小パリ”といわれたベイルートのカトリック系の学校に学び、17歳でバカロレア(大学入学資格試験)に合格し、パリに留学した。従兄の1人が卒業した商業系エリート校、高等商業学校(HEC)を目指したからだ。

 数学の成績が抜群だったので、グランド・ゼコールの準備級の教師が、理工科系のエリート校、理工科学校(ポリテクニック)への入学を強く勧めたため、同校に進学、さらに同校の上位成績者数人が進学可能な高等鉱山学校(MINE)に進んだ。その後の経歴は今や日本中が知る通りだ。

 ゴーンはブラジル、レバノン、フランスの三つの国籍を持つわけだが、最も多感な、最も懐かしい少年時代を過ごした本当の故郷はベイルートであり、レバノンといえる。ついでに言えば、レバノンは古代、通商で地中海周辺に君臨したフェニキア人の本拠地だ。つまり、ゴーン一族にはこの“フェニキア商人”の血が脈々と流れている。

ベイルートを訪れるわけ

 ベイルートの空港には運転手のほかにガードマンも迎えに来ていた。ゴーンがベイルートの住居として使用する自宅を購入(これも日産の資金で購入したので、特別背任の根拠の一つ)したのは2012年だが、古い家屋を長年かけて改修して住居として使用するようになったのは昨年からだ。それまではベイルートの高級ホテルを転々とした。同じホテルに二度以上、続けて宿泊することは、治安上なかった。

 レバノンはゴーンがパリに出発した1971年ごろから内戦が激化。71年には日本赤軍が入国し、72年にイスラエルのロッド空港で乱射事件を起こした。82年にはイスラエルがレバノンに侵攻するなど戦火に明け暮れた。90年にやっと、「レバノン化」という言葉を生んだ15年に及ぶ長期内戦が終了したが、その後も、政治武装組織ヒズボラとイスラエルが交戦するなど、国土は荒れに荒れた。

 ゴーンがホテルを転々とし、ガードマンが空港に迎えに来たのは、テロの対象になっても不思議でない状況だからだ。ゴーンはすでに数回、脅迫の対象にもなった。レバノン政府はゴーンがやってくると、ガードマンを派遣した。それでも、ゴーンが忙しい時間をやりくりしベイルートを訪れるのは、気心の知れた幼なじみがおり、親族がいるからだ。

真っ先に電話をした弁護士ジャウド

diplomedia/shutterstock.comdiplomedia/shutterstock.com
 ただ、仕事の鬼のゴーンが、ベイルートに到着するや、携帯で真っ先に連絡し、翌日の会合を約束したのは、レバノン人の弁護士ジャウドだった。特捜部が躍起に立件しようとしているゴーンの“中東コネクション(オマーン・コネクション)”対策でも相談するつもりだったのだろうか。また、日本でも翌週から重要な案件が待ち構えていた。それは、フランスの各種メディアの報道によれば、ルノーによる日産の合併問題と成績の芳しくない西川社長の更迭問題だという。

 ゴーンが弁護士ジャウドと知り合ったのは、前妻リタとの複雑な離婚手続きのときだ。ゴーンはまだ、タイヤ大手ミシュランに勤務していた1985年、リタと結婚。ミシュランの本拠地、中仏クレモンフェランに近いリヨンのブリッジの会で知り合い、4人の子どもに恵まれた。

 ちなみにゴーンの2番目の妻キャロルはレバノン人。ニューヨーク在住でモード界で活躍中のエレガントな美女だ。彼女は前夫との間に3人の子供がいる。「レバノン人の特性はお祭り好き。キャロルはその典型だ」とは、夫婦を良く知るレバノンの友人たちの一致した評とか。ゴーンがヴェルサイユ宮殿で派手な結婚式を挙行したのは、このキャロルの希望だったといわれる。

退職後の生活に思いをはせ

 ゴーンはこの数年来、退職後の生活について、真剣に考えていたといわれる。2017年夏には、ルノー日産グループはフォルクスワーゲン・グループを抜いて自動車業界で世界1位になり、ゴーンは仕事上、思い残すことがなくなった。退職に備え、1年前に自分の後任として日産社長に腹心の西川を据え、10カ月前にはルノー副社長に将来の社長含みでティエリー・ボロレを指名した(ゴーン逮捕後の2019年1月に社長就任)。

 ベイルート郊外にはブドウ畑も購入した。これはポケット・マネーで、数千万ユーロを投資したとし言われる。「自分の生涯の仕事でワイン作りは最も困難なものになりそうだ」と、周囲には冗談まじりに話していた。50年間、働き詰めに働いてきた“フェニキア商人”が永住の地として選んだのが、地中海の陽光に輝くレバノンだったことは容易に想像がつく。

 ゴーンの自宅でのジャウドとの昼食兼打ち合わせには、実業家ムハンマト・シュカイル(2019年1月31日の組閣で通信相に就任)と多角産業グループ・マリアの会長ジャック・サラフが同席した。彼らの目的はゴーンを説得して、レバノンのインフラ大工事に出費させることだったといわれる。工費は数10億㌦だ。日産やルノーの資金を当てにしていたのだろうか。

 中東地域一帯に広がるグループ・マリアはオマーンとも関係が深いといわれる。4人の間で密談が成立したのだろうか。退職後の生活拠点をベイルートに移そうとしていたゴーンにとって、インフラ整備は「故郷に錦を飾る」絶好の土産だったかもしれない。

肩身が狭いパリの日本人社会

 ゴーンは4月11日に会見して、身の潔白を証明すると述べていた。日程は「新天皇の即位前」を希望し、新天皇即位の祝賀ムードに水を差さないように配慮した。ゴーンにとって、天皇を象徴とする日本は、何はともあれ、大事な「第二の故郷」だ。

東京拘置所に入るカルロス・ゴーン前会長を乗せたとみられる車両=2019年4月4日、東京都葛飾区東京拘置所に入るカルロス・ゴーン前会長を乗せたとみられる車両=2019年4月4日、東京都葛飾区
 そんなゴーンの大和魂を無視した特捜部の再逮捕は、「人質逮捕」(ゴーンの弁護士・弘中淳一郎)と非難されても仕方がない。「ゴーン4回目の逮捕」を知った知人のフランス人からは、「中国人は池に落ちた犬を叩く、といわれるが、日本人はもっとヒドイね」と言われた。そういえば、日本のメディアが発信するゴーンの顔は、なんと憎々しく、悪漢そのものの怖い顔をしていることか。多分、こういう表情をわざわざ選んだのだろう。

 パリの日本人社会はゴーン逮捕以来、実は肩身の狭い思いをしている。倒産寸前の日産をゴーンが救済したのは正真正銘の事実だからだ。そのゴーンを腹心の西川社長が裏切り、ゴーンを刑務所に送り、恩を仇で返したと思っているからだ。

 「日本人は平気で人を裏切る国民だとは思わなかった。ブシドウに反するのではないか」とも言われた。「日本の検察や一部メディアは、ゴーンに個人的な恨みでもあるのか。ゴーンに対する異常な憎悪を感じる。もはや正義という職業的倫理の域をはるかに逸脱している」とも。

ゴーンに冷たいフランス

 もっとも、フランスもこのところ、ゴーンに冷たい。ルノーはまさに逮捕前日の4月3日の取締役会後、声明で日産との合弁会社RNBVで数百万ユーロ(数億円)の不正支出の疑いありと発表。6月の株主総会で取締役を辞任し、退職金も支払わないことを決めたと発表した。ゴーンは1月にルノーの会長兼最高経営責任者(CEO)も辞任しているので、取締役を辞任すれば、ルノーとの縁は切れる。

 ゴーンも3日、フランスの民放テレビとの会見で「日産の陰謀」を訴え、フランス政府に救済を求めたが、管轄のルメール経済・財務相は、「推定無罪の原則」を指摘したに留まり、ルドリアン外相も先のG7外相会合(仏北部ディナール)の会見で、「推定無罪」に加え、「気にしている」と多少、ゴーンに配慮したが、ゴーン逮捕当時の「三色旗」にかけて、自国民救済に乗り出す意気込みに比べると、明らかにトーンダウンだ。マクロン大統領が意図するとされる日産とルノーの合併は、ルノーの新会長スナールの手で密かに着々と進められていると言われる。

 「ゴーンはレバノン人だ。フランス国籍でも、フランス人ではない」と人種差別まがいの言葉を放ったフランス人もいた。フランスは刑法で厳しく差別を禁じているので、ゴーンが提訴すれば有罪判決間違いなし。高額な罰金に加え、場合によっては刑務所行きだ。

 ゴーンがルイ・シュワイツアーの後任として、ルノーの会長に就任した2005年の株式総会の様子を思い起す。ゴーンは約4千人が埋め尽くす会場のパレ・ド・コングレの檀上で、緊張で頬を上気させ、レバノンなまりが微かに残るフランス語で、「偉大な国フランス」への賛辞を何度も繰り返した。

 だがこのとき、ゴーンは自分がブラジル生まれ、レバノン人であることを強く意識していたに違いない。仏自動車大手ルノーの頂点に立ったゴーンに対する密かな敵意と、あからさまな嫉妬を、ヒシヒシと感じていたはずだ。

ニコニコして親しみやすかったゴーン

 ゴーンに初めて会ってインタビューしたのは1999年3月、日産とのアライアンスが決まった直後、日本に出発する直前だった。インタビューに行ったシュワイツアーに、「日本には誰が行くのか」と訊(き)いたところ、「今、いるから紹介する」と引き合わされた。中小企業の社長さん、という印象だった。

 高級官僚養成所・国立行政院(ENA)出身の長身痩躯、優雅でちょっと冷たい典型的なフランスエリートのシュワイツアーと比較すると、

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