藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【8】ナショナリズム 日本とは何か/日比谷焼き打ち事件と「国民」②
明治に生まれた近代国家・日本で、「国民」に目覚めた人々による空前の暴動。それが1905年の日比谷焼き打ち事件だった。9月5日、東京・日比谷公園での「国民大会」で日露戦争講和への反対を訴えた群衆は、皇居の二重橋前へ行進し、警官隊とぶつかりながら、鍛冶橋通りを京橋・銀座へ向かった。
東京駅から新橋にかけてのその辺りを、明治の思想に詳しい作家の関川夏央さん(69)と巡る。
当時は東京駅はなく、新橋から鉄道は伸びていない。まだ瓦葺きの和風建築が多い大通りに、ちょっと背の高い洋風建築も目立ってきた。そんな繁華街を路面電車が走り始めた頃だ。
関川さんが言った。
「初の国家的総力戦に近い日露戦争の渦中から『国民』が現れ、見返りへの期待を高めた。日比谷焼き打ち事件は、そんな国民の主人公意識と被害者意識の表れだった」
明治に元号が変わって38年。統治者となった天皇の「臣民」に対し、明治23年施行の大日本帝国憲法で兵役や納税が明記され、明治27~28年の日清戦争、それに次ぐ明治37~38年の日露戦争で負担がのしかかっていた。
国立公文書館アジア歴史資料センターによると、日露戦争での日本側死者は約8万4千人で、日清戦争の約10倍。今にすれば約2兆6千億円にあたる戦費で政府は財政難となり、所得税の増税に加え、タバコや塩を専売制にして歳入増加を図った。
「臣民」には選挙権が与えられたが、25歳以上の男子に限られ納税額も条件となり、有権者は人口の数%に過ぎなかった。「主人公意識と被害者意識」を高揚させて現れた「国民」たちは、何を起こしたか。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?