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戦中の「国民」あおった新聞 日比谷焼き打ち事件

【8】ナショナリズム 日本とは何か/日比谷焼き打ち事件と「国民」②

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

政府の「極秘」報告の中身

拡大日比谷焼き打ち事件で「政府系」として被害にあった国民新聞社があったあたりを、作家の関川夏央さんと訪ねた=2月下旬、東京・銀座。藤田直央撮影
 治安面の教訓として、「極秘」の判が押された後年の政府の内部報告「所謂日比谷焼打事件の概況」(1939年、内務省)が生々しく伝えている。

○群衆は「国民のお通りだ。電車は停止し乗客は下車しろ。ちょっとでも動けば電車を踏み破るぞ」と言い、十数台の電車を立ち往生させた。

○国民大会後に演説大会を予定する新富座の南北数百メートルに群衆があふれた。京橋署長が解散を命じると群衆は激高し、警官隊と格闘し捕縛される者も出た。一部は内相官邸や国民新聞社の方へ向かった。

○講和条約を支持した国民新聞社に群衆が押し寄せ、「露探(ロシアのスパイ)新聞を叩き潰せ」と投石を始めた。京橋署が騎馬警官を出動させ、国民新聞社員が抜刀するなどして負傷者が数名出た。

○内相官邸の塀には、講和交渉で責任者だった外相小村寿太郎や仲介した米大統領ルーズベルトがさらし首となる絵の貼り紙がされ、群衆は興奮した。正門を突破しようとした群衆は仕込み杖などを持ち、抜刀した警官隊との渡り合いで負傷者が数十名出た。

 暴動は事件名となった「焼き打ち」、つまり都心各地での連続放火へエスカレートした。明治天皇による戒厳令で軍隊が出動した翌日にようやく収束する。

 1939年の政府の内部報告に戻る。「日比谷事件といえば交番所焼き打ちと同義に解される」ほど、交番の被害が多かった。浅草、下谷、神田、京橋、日本橋、新宿で襲われ、焼失219カ所、破壊45カ所。日比谷や四谷ではさらに路面電車が、浅草では教会が焼かれた。

拡大日比谷焼き打ち事件を伝える「東京騒擾画報」(1905)から、「九月六日の夜、日比谷公園東北の広場に起こりし大騒動」=東京都立図書館所蔵
拡大日比谷焼き打ち事件を伝える「東京騒擾画報」(1905年)から。「神田警察署小川町分署は九月五日夜破壊、六日夜焼却せられて民家二戸も罹災す」=東京都立図書館所蔵

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筆者

藤田直央

藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)

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