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寂しかった日本新党の解党。私は議員失職の危機?

元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界⑤松崎哲久さんの訴訟であわや……

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

国が上告を決定。日本新党も上告に参加することになり記者会見。円(中央)の左が梶谷剛弁護士。右端が菅田文明弁護士=1994年12月9日拡大国が上告を決定。日本新党も上告に参加することになり記者会見。円(中央)の左が梶谷剛弁護士=1994年12月9日(筆者提供)

最初の参院選で落選したが……

 1992年細川さんに誘われて日本新党の結党に参加したものの、私は直後にあった7月の参院選で落選している。比例名簿1位の細川護熙氏、2位の小池百合子氏、3位の寺沢芳男氏、4位の武田邦太郎氏の4人が当選し、7位だった私は入らなかったのだ。(参考「強姦罪の審議でおじさん議員が放った有り難いヤジ」

 しかし、私はまったく落胆していなかった。当選するなんて、はなから考えていなかったからだ。

 だが、彼は違った。

激しく落ち込んだ松崎哲久さん

1992年参院選で日本新党からは4人が当選した。左から寺沢芳雄さん、武田邦太郎さん、細川護煕さん、小池百合子さん=1992年7月27日拡大1992年参院選で日本新党からは4人が当選した。左から寺沢芳男さん、武田邦太郎さん、細川護煕さん、小池百合子さん=1992年7月27日
 参院選の投票が終わった1992年7月26日の夜8時、私は党本部のホールにいた。壇上では当選した細川さんら4人が、新聞やテレビ局の記者やカメラに囲まれ、インタビューを受けていた。

 その様子を眺めていると、5位に搭載されている松崎哲久さんが隣にきた。

 「円さん、よくそんな、あっけらかんとした顔で見てますね」
 「は?」
 「だってあなたの当落だってかかっているのに」
 「私?私は最初から当選するなんて思ってませんもの。日本新党に参加できて、これから日本を変えていくことに関われるだけでいいんですもの」
 「本当に欲の無い人ですね。じゃあ、私のことを考えて祈って下さいよ。もう少し票が伸びれば私が当選するんですから」

 なるほど、国会議員が増えれば、党のためにもなる。2人で祈ったが、最後の一人は残念ながら他党が取り、松崎さんの5位当選は夢と消えた。

 驚いたのは、彼の落ち込みぶりだった。まさに、見るにしのびない様子だった。

 この松崎さんと私は、2年後に因縁の裁判当事者となるが、その時点では知るよしもなかった。


筆者

円より子

円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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