円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長
ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。
元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界⑤松崎哲久さんの訴訟であわや……
連載・女性政治家が見た! 聞いた! おもしろすぎる日本の政治
1992年細川さんに誘われて日本新党の結党に参加したものの、私は直後にあった7月の参院選で落選している。比例名簿1位の細川護熙氏、2位の小池百合子氏、3位の寺沢芳男氏、4位の武田邦太郎氏の4人が当選し、7位だった私は入らなかったのだ。(参考「強姦罪の審議でおじさん議員が放った有り難いヤジ」)
しかし、私はまったく落胆していなかった。当選するなんて、はなから考えていなかったからだ。
だが、彼は違った。
参院選の投票が終わった1992年7月26日の夜8時、私は党本部のホールにいた。壇上では当選した細川さんら4人が、新聞やテレビ局の記者やカメラに囲まれ、インタビューを受けていた。
その様子を眺めていると、5位に搭載されている松崎哲久さんが隣にきた。
「円さん、よくそんな、あっけらかんとした顔で見てますね」
「は?」
「だってあなたの当落だってかかっているのに」
「私?私は最初から当選するなんて思ってませんもの。日本新党に参加できて、これから日本を変えていくことに関われるだけでいいんですもの」
「本当に欲の無い人ですね。じゃあ、私のことを考えて祈って下さいよ。もう少し票が伸びれば私が当選するんですから」
なるほど、国会議員が増えれば、党のためにもなる。2人で祈ったが、最後の一人は残念ながら他党が取り、松崎さんの5位当選は夢と消えた。
驚いたのは、彼の落ち込みぶりだった。まさに、見るにしのびない様子だった。
この松崎さんと私は、2年後に因縁の裁判当事者となるが、その時点では知るよしもなかった。
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