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寂しかった日本新党の解党。私は議員失職の危機?

元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界⑤松崎哲久さんの訴訟であわや……

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

松崎さんの除名のてんまつ

 12月2日、細川事務所で細川さんや弁護士らとの初打ち合わせを行う。

「女性のための政治スクール」の開講式で挨拶してくれる松崎哲久さん=1993年2月3日拡大「女性のための政治スクール」の開講式で挨拶してくれる松崎哲久さん=1993年2月3日
 そもそも松崎哲久さんの除名問題と私の当選無効とはどういう関係があるのか。

 松崎さんは学習院大学教授の香山健一さんから紹介されて細川さんの日本新党を手伝うことになった。東大・ハーバード大を卒業したエリートで、優秀な人物だった。結党から参院選まで実によく働き、党則や政策など作り上げたのは、実質この松崎さんら数名といっていい。

 参院選で落選したことで平常心を失っていたのだろうか、その松崎さんが突然、細川さんに「私に党の人事とお金を任せてほしい」と直訴した。若さゆえの早とちりか、自分の力を過信したのか。彼は常に独断で動くところがあり、細川さんの気分を害したことにまったく気が付かなかったようだ。

 さらに、細川さんにも組織委員会にもはからず、神奈川の選挙区から次期衆院選に出ることを工作、それを党に事前連絡もせずに発表するだけでなく、党の機密情報を新聞に漏らした。そのため、党の組織委員会などから、松崎さんへの非難が集中するようになった。

 企画調整本部長(他党の幹事長にあたる役職)は自分の会社の経営に専念するため、後継に松崎さんを考えていたので、彼に忠告するとともに、組織委員会にとりなしもした。しかし、党内からは松崎さんの除名コールが起きた。常任幹事会で松崎さんから事情を聴取するなどした後、倫理委員会で除名が決まった。

裁判所に対して抱いた怒り

 東京高裁の判決文などをとりよせて分析すると、松崎さんらが書いたものや、取材に応じた週刊誌の記事が高裁の判決根拠となっていることがわかった。「よくまあ、こんな根の葉もないゴシップ記事みたいなのを集めたものだ」と私たちは感心したり呆れたり。一つ一つの記事が、いかに信ぴょう性がないか、反論する材料を整え始めた。

1994年11月29日の読売新聞夕刊に載った山崎頼子(円より子)の当選無効を知らせる記事拡大1994年11月29日の読売新聞夕刊に載った山崎頼子(円より子)の当選無効を知らせる記事
 たとえば判決の中に、「円より子は第三者とはいえ、裁判に参加しようと思えばできたのに参加しなかった」という一文があった。松崎さんの除名が無効となれば、私の当選が取り消しになる。裁判の被告は国であり、私ではないが、利害当事者は私である。それなのに「参加しようと思えばできたのに」と言って、私に参加するかどうかの意思確認すらしない裁判所の、当事者の立場に寄り添わない姿勢に、私は怒りを感じた。

 松崎さんには怒りも何もなかった。たまたまのめぐりあわせであり、私は松崎さんが同志だと思っていたから、倫理委員会で除名が覆るよう、松崎さんの党への貢献をアピールしたほどであった。彼はその後も次々と反党行為をやったが、個人的には何の恨みもなかった。

 私が最高裁で闘う気力をみなぎらせることができたのは、東京高裁がフェイクニュースまがいの週刊誌の記事を信じ切って判決を下したこと、私に連絡ひとつ寄越さずに、「参加しようと思えばできたのに」と平然と書いた姿勢であった。裁判所とはこんなにおかしなものなのかと唖然(あぜん)とし、憤りも感じた。

闘う決意をした細川さんだが……

 ただ、裁判で問われたのは、実は私のことではない。結果的に当選無効というとばっちりを受けたのは私だが、無効とされたのは日本新党の除名処分だった。

 除名無効の根拠の「機密漏洩が証明できず」は、手続きの不備を指摘し、党首である細川さんを公序良俗に反すると断じているに等しい。これは受け入れるわけにいかない。

 細川さんは日本新党としてすぐさま闘うことを決意。といっても高裁判決で負けたのは日本新党でも私でもない。国(中央選挙管理委員会)が上告しなくては東京高裁の判決が確定してしまう。

 このように、まことにおかしな構図となり、内心ハラハラしていたが、12月8日、国は上告することを決定した。日本新党も梶谷剛さん(後に日弁連会長)や菅田文明さんら5人の弁護士を用意し、上告に参加することになった。そして翌9日、私は5人の弁護士とともに記者会見をした。

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筆者

円より子

円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。

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