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「殺されてもいい」小泉首相捨て身の郵政選挙の罪

平成政治の興亡 私が見た権力者たち(14)

星浩 政治ジャーナリスト

2005年夏、郵政民営化法案が参院で否決されたのを受けて衆議院を解散し、記者会見する小泉純一郎首相=2005年8月8日、首相官邸2005年夏、郵政民営化法案が参院で否決されたのを受けて衆議院を解散し、記者会見する小泉純一郎首相=2005年8月8日、首相官邸

求心力に陰りがみえた小泉純一郎首相

 2004(平成16)年7月の参院選で、自民党は民主党に1議席差ながら敗北し、「選挙に強い」ことが売りだった小泉純一郎首相の求心力に陰りが見えてきた。小泉氏がめざす郵政民営化に対しても、自民党内で反対論が強まった。9月初旬に自民党の「郵政事業に関する特命委員会」(村井仁委員長)が開いた集中討議では、24人の発言者のうち23人が民営化反対論を唱えた。

 小泉首相は先手を打つ。9月10日に臨時閣議を開き、郵政民営化の基本方針を決めた。

 方針の柱は、①2007年4月から窓口ネットワーク、郵便、郵便貯金、郵便保険の4事業を分社化し、政府出資の持ち株会社の傘下に置く②17年3月末までに郵便貯金、郵便保険会社の株式を民有・民営とする――などだ。通常、この種の政策決定は自民党の了解を受けて閣議決定するが、これは自民党の了解を経ておらず、党内で批判が強まった。

自民党幹事長に武部氏を抜擢

自民党幹事長に抜擢された武部勤氏=2004年9月27日、自民党本部 
自民党幹事長に抜擢された武部勤氏=2004年9月27日、自民党本部
 だが、小泉首相はひるまない。さらに次の手を打った。自民党役員人事と内閣改造である。

 党人事では、参院自民党を牛耳る青木幹雄参院議員会長と森喜朗前首相の意向を聞いた。その結果、参院選敗北の責任をとると明言していた安倍晋三幹事長を幹事長代理に降格させ、後任の幹事長には武部勤氏を抜擢(ばってき)した。

 武部氏は農水相を務めたことはあるが、政府・自民党の要職はほとんど経験していない。ただ、党内では「最高のイエスマン」と言われ、上司に忠実であることは確かだった。小泉氏はそこに目をつけた。

 政調会長は額賀福志郎氏の後任に与謝野馨氏をあてた。さらに政調副会長兼郵政改革合同部会座長に園田博之氏を起用。この与謝野・園田コンビが、郵政民営化を実務的に仕上げていく。

郵政民営化をめぐる同床異夢

 そのころ、私は与謝野氏にインタビューしているが、郵政民営化について実に明快に解説していた。

 「世の中は郵政民営化で大騒ぎしているが、財政再建や社会保障の見直しに比べれば大した問題ではない。戦後の日本が発展途上だったころ、道路や橋などの建設に多額の資金が必要だった。金利が高く政府が保証する郵便貯金でカネを集め、その資金を活用した。高度成長が終わり、成熟社会が見えてきて、郵便貯金のような金集めは必要なくなった。それでも郵便局は地域に根を張っていたので、政治的な事情から民営化はできなかった。それを小泉氏がやろうとしている。銀行や地域社会との折り合いをつけて、徐々に民営化していけばよいだけの話だ」

竹中平蔵・郵政民営化担当相=2005年3月15日竹中平蔵・郵政民営化担当相=2005年3月15日
 その通りだと思った。園田氏も「賛成論と反対論を政策的に調整すればよい。政局の話ではない」と話していた。しかし、小泉氏は違った。郵政民営化を進めることで、旧田中派など自民党内の「抵抗勢力」をあぶり出す。そのためには衆院の解散・総選挙も辞さない。それが小泉氏の戦略だった。

 そんな小泉氏を政策面から支えたのが、夏の参院選で比例区の自民党公認として当選した竹中平蔵氏だった。内閣改造では経済財政相と郵政民営化担当相を兼務して、民営化の具体案づくりを進めた。9月27日、自民党の新執行部と改造内閣が発足。小泉首相は記者会見で「この内閣は郵政民営化実現内閣」と宣言した。

  その後、郵政民営化をめぐる攻防が本格化していく。

激化する自民党内の対立

 2004年末までは小泉首相と自民党内の民営化反対勢力とのにらみ合いが続いた。年が明けて05年1月21日、通常国会が召集された。小泉首相は施政方針演説のうち約2割を郵政民営化にあてた。

自民党本部の郵政改革関係合同部会に出席した与謝野馨政調会長(右)と園田博之座長=2005年4月8日、東京・永田町自民党本部の郵政改革関係合同部会に出席した与謝野馨政調会長(右)と園田博之座長=2005年4月8日、東京・永田町
 「改革の本丸が郵政民営化だ。昨年9月に決定した基本方針に基づいて、07年4月に郵政公社を民営化する法案を今国会に提出し、成立を期す」

 まさに「戦闘宣言」だった。

 これに対し、自民党内の民営化反対派も対決姿勢を崩さなかった。反対派には、①政局的に小泉首相と対決する亀井静香氏ら②過去に郵政相を務めるなど郵便局との関わりが深い野田聖子氏ら③郵政民営化によって地域の金融サービス機能が低下し過疎化が加速することを懸念する堀内光雄氏ら――がいた。

 4月に入り、園田政調副会長らの調整で、政府の基本方針に①郵便局が全国であまねく利用される(ユニバーサル・サービス)ことを法律で義務づける②全国での金融サービスを維持するため1兆円規模の地域・社会貢献基金を設ける――などの修正が加えられた。だが、それでも対立が解消することはなかった。

かろうじて可決した法案

 4月27日、小泉首相は基本方針に基づいて郵政民営化の関連法案を閣議決定、国会に提出した。大型連休明けには衆院に関連法案を審議する特別委員会が設けられ、自民党の二階俊博氏が委員長に就任。自民党の反対派も次々と質問に立ち、審議は延べ108時間に及んだ。法案は一部修正されたが、それでも自民党内の溝は埋まらなかった。

 7月4日、法案は委員会で可決され、焦点は翌5日の衆院本会議での採決に移った。自民党から47人が反対に回れば法案は否決される。いったい何人が造反するのか? 私たち朝日新聞政治部も、自民党の衆院議員一人一人に賛否を確認し、懸命に票読みを進めた。

衆院本会議で郵政民営化法案に反対票を投じた綿貫民輔・前衆院議長。野党席から拍手が起こった=2005年7月5日衆院本会議で郵政民営化法案に反対票を投じた綿貫民輔・前衆院議長。野党席から拍手が起こった=2005年7月5日
 5日午後1時、衆院本会議開会のベルが鳴り、記名投票に入った。自民党の議員が反対の「青票」を投じるたびに議場からどよめきが起きた。綿貫民輔、堀内光雄、亀井静香、平沼赳夫の各氏らのベテランに加え、野田聖子、古屋圭司、森山裕、小林興起、城内実の各氏ら中堅・若手も青票を投じた。

 投票結果を河野洋平議長が読み上げる。

 「可とする者233、否とする者228」。

 わずか5票差で郵政民営化関連法案は可決された。自民党内の反対は37人、欠席・棄権は14人だった。小泉首相はひとまず、胸をなで下ろした。だが、反対派は「第1ラウンドではノックアウトできなかったが、第2ラウンドの参院で完璧にノックアウトする」(亀井氏)と、参院での否決に向けて気勢をあげた。

「俺の信念だ。殺されてもいい」

 その参院では、特別委員会での審議が始まり、本会議での採決に向けた応酬が続いた。小泉首相側からは「否決なら衆院の解散・総選挙」といった情報がさかんに流されたが、反対派も「参院否決で衆院解散は理屈に合わない」「否決なら内閣総辞職が筋だ」と反発を強める。法案は8月5日の特別委で可決され、8日の本会議でいよいよ採決されることになった。

「干からびたチーズ」の目録を手に、小泉純一郎首相との会食を記者団に報告する森喜朗前首相は=2005年10月6日、東京都内のホテル「干からびたチーズ」の目録を手に、小泉純一郎首相との会食を記者団に報告する森喜朗前首相は=2005年10月6日、都内のホテル
 ことのとき、小泉首相は「否決なら解散」と思い定めていたことは間違いない。それを察知した派閥の先輩でもある森前首相が6日夜、首相公邸に小泉首相を訪ねてビールを飲み交わす。森氏は「郵政民営化であんたの考えに賛同している人たちも、ここで解散は困ると思っている。彼らを苦しめてどうする」と諭した。法案を継続審議にして、やり直してはどうかという提案だった。

 しかし、小泉氏は譲らなかった。「俺の信念だ。殺されてもいいと思ってやっている」と答えたという。

参院本会議で法案否決

 8日の参院本会議採決に向けて、朝日新聞政治部は再び、票読み作業を進めた。自民党の造反が相当数にのぼり、法案が否決される可能性が大きくなっていた。否決の場合、小泉首相は解散を選ぶのか、総辞職を決断するのか? 午後1時半、緊迫した状況で本会議での投票が始まった。

参院本会議で郵政民営化法案が否決され、喜ぶ野党議員たち=2005年8月8日参院本会議で郵政民営化法案が否決され、喜ぶ野党議員たち=2005年8月8日
 自民党の議員が造反し、反対票を投じる。そのたびに、参院本会議場はどよめいた。緊張した空気のなか、扇千景議長が投票結果を読み上げた。

 「投票総数233票、賛成108票、反対125票」

 郵政民営化関連法案は、大差で否決された。自民党内の反対は中曽根弘文氏ら22人、棄権は8人だった。反対派議員たちは議場で握手していた。

前代未聞の衆院解散

 小泉首相は臆することがなかった。ただちに臨時閣議を開催。閣議では、島村宜伸農水相が解散に反対して辞表を提出したが、小泉首相は受理せずに島村氏を罷免。解散が閣議決定された。これを受け、細田博之官房長官が解散詔書を衆院議長に提出。河野議長が本会議で読み上げた。

 総選挙は8月30日公示、9月11日投票と決まった。政府提出の法案が参院で否決され、衆院を解散。憲政史上、前代未聞の事態だった。

 解散を決めた閣議の後、赤いカーテンを背景にして記者会見した小泉首相には鬼気迫るものがあった。

 「国会は、郵政民営化は必要ないという判断を下した。本当に郵政民営化は必要ないのか、国民の皆さんに聞いてみたいと思う。今回の解散は郵政解散だ。郵政民営化に賛成してくれるのか、反対するのか、これをはっきりと国民の皆様に問いたい」
 「400年前、ガリレオ・ガリレイは天動説の中で地球は動くという地動説を発表して有罪判決を受けた。その時、ガリレオはそれでも地球は動くと言ったそうだ」

 郵政民営化を地動説に、自分をガリレオにたとえる。小泉劇場のクライマックスであった。

注目を集めた造反組vs「刺客」

 総選挙の結果はどうなるか? 政治家や政治記者の間で見方は割れた。

 小選挙区制の下で自民党が分裂するのだから、自民党には不利で野党に有利になるという見方があった。一方で、自民党内の対立が注目され、野党の存在がかすむから自民党には有利に働くという指摘もあった。私は当初、選挙事情の分析から前者の見立てをしていた。だが、解散決定後の世論の動向を見て、自民党優勢との見方に転じた。結果は後者だった。

「刺客」として東京10区に鞍替え。自民党支部の役員らにあいさつする小池百合子氏=2005年8月18日、東京都豊島区「刺客」として東京10区に鞍替え。自民党支部の役員らにあいさつする小池百合子氏=2005年8月18日、東京都豊島区
 小泉首相は、武部幹事長に郵政造反組を除名して選挙区では対立候補を擁立するよう指示した。対立候補は「刺客」と呼ばれ、テレビで大きく取り上げられた。

 亀井静香氏(広島6区)にはライブドア社長の堀江貴文氏。野田聖子氏(岐阜1区)にはエコノミストの佐藤ゆかり氏。小林興起氏(東京10区)には選挙区を鞍替えした小池百合子氏……。刺客と“大物議員”の対決は世間の注目を集めた。民主党の岡田克也代表らは、「争点は郵政民営化だけではない」と主張し、社会保障や外交・安全保障の論争を呼びかけたが、小泉自民党は「郵政民営化をすれば、外交も社会保障も良くなる」というキャンペーンを展開。与野党の議論はかみ合わなかった。

自民党圧勝。郵政民営化法案が成立

 選挙期間中、私は鹿児島5区(鹿屋市など)を取材した。前職の森山裕氏は民営化法案に反対票を投じた造反組。自民党公認は得られず、無所属で出馬、刺客の公認候補をぶつけられた。

 森山氏は、郵便局が民営化されれば地域の金融サービスの担い手が弱くなり、地方はいっそう疲弊すると主張していた。刺客候補の応援にやってきた武部幹事長は「みなさん! 森山さんは自民党には戻りません」と演説して歩いた。森山氏の支持者たちは怒りに震えていた。選挙結果は森山氏の圧勝。有権者の多くは「刺客」を信用しなかったのだ。森山氏はその後、復党し、農水相、自民党国会対策委員長などの要職を歴任する。

 はたして選挙結果は、自民党が定数480のうち296議席を獲得して圧勝。うち83人が初当選の新顔で、「小泉チルドレン」と呼ばれた。一方、民主党は113議席にとどまり、岡田代表は辞任した。ちなみに、公明党は31議席、共産党9議席、社民党7議席だった。

 9月21日に召集された特別国会で小泉氏が首相に選出され、第3次小泉内閣が発足した。郵政民営化関連法案は10月11日に衆院を通過、14日には参院で可決、成立した。小泉氏の悲願は達成された。

郵政選挙に大勝。自民党本部で当選のバラつけにも笑みがこぼれる小泉純一郎首相。左は武部勤幹事長=2005年9月12日、東京都千代田区郵政選挙に大勝。自民党本部で当選のバラつけにも笑みがこぼれる小泉純一郎首相。左は武部勤幹事長=2005年9月12日、東京都千代田区

メディアの責任も問われる郵政選挙

 あれから14年たって思うのは、この騒動は何だったのか、ということである。

 小泉氏が初志を貫いたことは間違いない。そのためにあらゆる手段を講じた。

 毎年、靖国神社に参拝し、自民党保守派の支持を保った。イラク戦争への支持表明などで米国と親密な関係を築き、国内の求心力を確保した。消費税率引き上げなど不人気な政策は回避した。郵政民営化がそこまでして実現すべき政策なのかどうか、大いに議論のあるところだが、その論争は広がらなかった。自民党の与謝野政調会長が「大した問題ではない」という郵政民営化に日本政治が振り回されたのである。

 メディアの責任も大きい。私は2004年4月から東京大学大学院特任教授を兼務し、政治とメディアをテーマとする授業やゼミを持っていた。そこで、助手の逢坂巌氏と小泉政治とメディアについて分析。その成果を共著にして発表した。

 そのなかで、小泉氏の手法に関する論争を紹介したうえで、こう指摘した。

 「従来の選挙報道では、メディア側がその選挙の意味を定義し、各党・各候補者がメディアの規定に沿う形で論争を進めてきた。2005年の総選挙では小泉自民党が終始、争点設定で主導権を握り、メディアや野党側からの提起を許さなかった」(

 郵政解散総選挙はメディアの責任が問われた選挙でもあった。

注 星浩、逢坂巌『テレビ政治』(朝日新聞 2006) 19ページ

終戦記念日に靖国参拝を強行

大勢の参拝客が見守る中、靖国神社本殿に参拝する小泉首相=2006年8月15日、靖国神社大勢の参拝客が見守る中、靖国神社本殿に参拝する小泉首相=2006年8月15日、靖国神社
 総選挙後の特別国会で内閣の布陣を変えなかった小泉首相は、郵政民営化関連法案の成立を受けて、10月31日に内閣改造に踏み切った。官房長官に安倍晋三氏を起用、外相には麻生太郎氏、財務相には谷垣禎一氏を充てた。この3人に福田康夫元官房長官を加えた「麻垣康三」がポスト小泉を競うことになった。

 明けて2006年、小泉首相は最後の通常国会や米国公式訪問などをこなし、8月15日の終戦記念日に、最後の靖国神社参拝を強行した。

 01年の就任以来、毎年、参拝してきたが、8月15日は初めてだった。①中国や韓国の批判は当たらない②A戦犯が合祀されているという批判があるが、自分は特定の人に対して参拝しているわけではない――などと説明したが、アジア諸国の不信はいっそう強まった。

「小泉政治」の限界とは

 小泉政権は5年5カ月、1980日に及んだ。小泉首相に直接、インタビューする機会が何度かあったが、印象に残るのは、青木幹雄・自民党参院議員会長をどう評価するかと聞いた時の反応だ。「青木さんは、改革派だよ」という。

 族議員の束ね役である青木氏を「改革派」と見る政治家は珍しい。青木氏の特徴は、財務省の役割を高く評価している点だ。各省庁の予算査定を通じて、政策の微調整を進める。青木氏は、財務省のその役割を応援する実力者であり、スケールの大きな政策を論じるわけではない。

 その青木氏を小泉氏は評価する。そこに、小泉改革の「限界」が見て取れるのではないか。その限界は、郵政民営化という、限定的な政策目標にエネルギーを費やしたことに表れたし、そのために靖国神社の参拝や米国追随の外交を続けたことは、日本政治・外交の停滞を招いた。

戦後最年少首相に期待は集まったが……

 小泉氏の後継を決める自民党総裁選は9月8日告示、20日投票で行われた。福田氏が70歳という高齢を理由に立候補を見送ったため、安倍、麻生、谷垣の3氏で争われることになった。

 安倍氏に対しては、森元首相が、政治キャリアでは先輩の福田氏に譲り、出馬を見合わせるべきだと助言した。しかし、安倍氏は「運命の女神は後ろ髪がない。前髪をつかまなくてはいけない」と語り、政権取りのチャンスを逃したくないという姿勢を見せた。

 国会議員と党員による投票の結果、安倍氏が464票を獲得、麻生氏(136票)、谷垣氏(102票)を大きく引き離して圧勝。9月26日、臨時国会が召集され、安倍氏が首相に指名された。安倍第1次内閣が発足した。

 52歳の首相は戦後では最年少。フレッシュな政権には期待が集まったが、先行きには暗雲が垂れ込めていた。

次回は、第1次安倍政権の混迷ぶりと後継の福田康夫政権の困難を描きます。27日公開予定。