藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【11】ナショナリズム 日本とは何か/沖縄と「祖国」①
6月23日、曇天からの小雨。沖縄は戦後74年目の慰霊の日を迎えた。日米間で最大の地上戦となった沖縄戦で1945年のこの日、米軍の猛攻のなか旧日本軍の現地司令官が自決した。
死者は日本側約18万8千人、米側約1万2千人。沖縄本島の南へ南へと逃れる民間人も巻き込み、最後の激戦地となったのが糸満市、摩文仁の丘だ。いまそこに広がる県平和祈念公園では、今年もそれら全ての戦没者を悼む式典があり、黒いかりゆしなどを着た人たちが手を合わせ、花を手向けた。
欧米列強が迫る中で極東の島々が築いた近代国家・日本は、明治という時代を画し、「国体」としての天皇による統治に服する「臣民」をつくろうとした。大正から昭和へ入り、大国とのせめぎ合いで運命共同体としての「国民」意識が高まる中で、日本はアジアと太平洋へ支配を広げた。1941年の真珠湾攻撃でついに米国との戦争に入る。
1945年の敗戦で、アジアと太平洋での日本支配は一気に縮んだ。その時、沖縄までが切り離された。
沖縄戦で上陸した米軍の支配は72年の日本復帰まで続いた。日本が米国などと講和し52年に主権を回復してから、さらに20年かかったのだ。
近代国家・日本で「国民」がひとまとまりになろうとする意識、つまりナショナリズムは、敗戦後も保たれた。国民を天皇の「臣民」とした明治憲法を改正する形をとった日本国憲法は、「主権が国民に存することを宣言」する一方で、天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と位置づけた。
国家と「国民」をめぐるそんな意識が対流する戦後の日本という水槽を、沖縄という光源は、切り離されてからも、復帰してからも、真横から照らし続ける。そちら側から見つめると、沖縄を除く本土でイメージされる自画像とは異なる日本の姿が、鮮明に浮かびあがる。