藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【11】ナショナリズム 日本とは何か/沖縄と「祖国」①
そして今も、沖縄が復帰したかった日本と現実の溝は深い。日本のナショナリズムを考えるために、沖縄へ足を運んで日本を見つめ直すことは欠かせなかった。
瀬長亀次郎(1907~2001)。米軍支配からの「民族の解放」を唱えて祖国復帰運動を率いた、沖縄で最も知られる政治家だ。今も親しみを込めて呼ばれる「カメジロー」を知る人々を訪ね、ゆかりの地を歩いた。2月下旬、ちょうど米軍普天間飛行場の県内移設をめぐる県民投票があった頃だ。
那覇市街とその先の東シナ海を一望できる、首里城公園の高台へ。中国語や韓国語も飛び交う観光客でにぎわっていた。明治維新で琉球王国がついえて沖縄県ができた後も城は残ったが、1945年の沖縄戦で一度焼失し、日本復帰20周年の92年に国営公園として復元されている。
不屈の人、瀬長の1952年の首里城跡地でのエピソードは有名だ。米軍統治下での「琉球政府」創立式典に公選の立法院議員の一人として臨んだが、米政府への宣誓の際に起立せず拒否した。
首里城から東へ下ると、モノレールのそばに市立首里中学校がある。日曜のグラウンドに野球少年らの練習の声が響く。1950年9月13日、このグラウンドは瀬長の演説で沸いていた。
沖縄初の知事公選の候補者演説会。詰めかけた聴衆に、瀬長は壇上から訴えた。