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「日本人民と結合せよ」 沖縄から叫んだ不屈の人

【11】ナショナリズム 日本とは何か/沖縄と「祖国」①

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

「ワシントンを動かせる」

 「瀬長ひとりが叫んだなら、50メートル先まで聞こえる。
 ここに集まった人たちが声をそろえて叫べば、全那覇市民まで聞こえる。
 沖縄の70万人民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波を越えてワシントン政府を動かすことができる」

拡大1950年に瀬長が「沖縄の人民が声をそろえて叫べばワシントンを動かせる」と演説した首里中学校のグラウンド=2月下旬、那覇市首里汀良町2丁目。藤田撮影
 瀬長が唱えたのは日本復帰だった。当時は本土ですらまだ連合国軍総司令部(GHQ)、つまり事実上米国の占領下にあったが、その現実は沖縄で最も生々しかった。県民の4人に1人が亡くなった戦闘で米軍に制圧されてから、まだ5年だった。

 「アメリカにそんなことを言えるのは瀬長さんだけでした。指笛と拍手が止まなくてね」と、仲松庸全さん(91)は振り返る。その演説会で、首里地区の青年会役員として司会をしていた。

 当時の世論調査を、瀬長が51年6月の論文「日本人民と結合せよ」で紹介している。

 それによると、沖縄の青年会員約1万人の回答のうち「日本復帰」が84%で、「独立」などを圧倒。瀬長は「沖縄の人民の力が日本人民の力と切断されたままではなしに、力と力が結合するとき民族解放の威力は発揮されるのだ」と述べ、「即時日本復帰!」と結んだ。

 沖縄戦の後も土地を奪い、基地を造り続ける米軍。力による「異民族支配」への人々の反発が、瀬長の背を押していた。

 ただ、仲松さんには日本復帰熱の高さに戸惑いもあった。その沖縄戦の記憶だ。

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筆者

藤田直央

藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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