藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【12】ナショナリズム 日本とは何か/沖縄と「祖国」②
政界が夏の参院選へ慌ただしさを増した6月下旬、東京・渋谷のとあるビルの地下で映画の試写会があった。8月公開の「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー 不屈の生涯」。米軍基地からの「民族の解放」を唱え続けた沖縄の政治家・瀬長亀次郎(1907~2001)の生き様を追う、佐古忠彦監督の二作目だ。
佐古さんとは10年ほど前、政治記者として永田町の取材現場で重なっていた。その頃から、いや、そもそも米軍統治下の沖縄で瀬長が祖国復帰を叫んでいた頃から、沖縄の人々の苦悩は変わっていない。そんな思いを佐古さんと共有するような映画だった。
日本は敗戦から7年の1952年、沖縄を切り離して主権を回復した。米ソ両陣営による冷戦下での米側との「片面講和」によるものだった。米軍が「太平洋の要石」として統治を続ける沖縄にも、日米安保条約を結んだ日本にも、米軍基地は残った。
瀬長が率いる祖国復帰運動は茨の道となった。瀬長は沖縄戦の悲劇を繰り返すまいと、「全面講和の早期締結」によって戦争と基地のない日本に戻ろうと唱えていたからだ。
瀬長を「敵」、つまり共産主義者とみる米軍の弾圧が追い打ちをかけた。それでも屈せずに瀬長が目指した「祖国復帰」と「民族の解放」とは、一体何だったのか。
私は2月下旬に沖縄を訪れ、那覇市内の瀬長ゆかりの地を内村千尋さん(74)と巡った。瀬長がこまめにつけた日記に出てくる次女の「ちーちゃん」は、父亡き後もその人生を見つめ続けている。
自宅に残る山積みの資料を整理し、沖縄の戦後を語る講演やガイドをし、今は市内にある瀬長の資料館で館長を務める。論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?