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苦悩する「沖縄の保守」 翁長氏と対峙した県議

【14】ナショナリズム 日本とは何か/沖縄と「祖国」④

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

拡大1997年に沖縄県名護市が米軍普天間飛行場の移設を受け入れた時の事を2008年に振り返る座談会の様子。写真の右端がいま県議の末松文信氏=北部地域振興協議会発行の「決断」より

「沖縄の保守」という存在

 日本復帰後の沖縄を考える時、忘れてはならない存在がある。「沖縄の保守」だ。

 戦後日本の外交・安全保障の基軸は日米同盟であり、極東の平和と日本の防衛に沖縄の米軍基地は欠かせない――。そう唱える政府に対し、「沖縄の保守」は葛藤しつつ協力し、基地負担軽減と振興を進めようとしてきた。

 現実の中で郷土の発展をつかみ取ろうとする「沖縄の保守」は、「基地のない島」という理想を掲げて政府に厳しく臨む「沖縄の革新」とぶつかってきた。1972年に日本に戻った沖縄での知事選をはじめとする主な選挙は、今回の参院選沖縄選挙区に至るまでそんな構図の繰り返しだ。

拡大沖縄県宜野湾市の市街地に囲まれた米軍普天間飛行場。輸送機オスプレイが並ぶ=4月。朝日新聞社
 ともに豊かで平和な島を目指す点で沖縄の保革は重なる。にもかかわらずぶつかるのは、沖縄戦の凄惨な記憶に根ざす「基地のない島」という「沖縄の革新」の理想が、戦後日本に新たな「国体」として現れた日米安保体制と、まさに根幹で相いれないからだ。

 日本復帰から半世紀近く経った今も変わらない「在日米軍基地が集中する沖縄」の矛盾を、「沖縄の革新」は突き続ける。

 この連載では過去3回、「沖縄の革新」を代表する政治家・瀬長亀次郎(1907~2001)について書いてきた。瀬長は沖縄戦以来の米軍統治からの「祖国復帰運動」に尽くし、日本復帰後も衆院議員として「基地のない島」を訴えた。彼の言う「島」とは、沖縄にとどまらず日本列島であり、沖縄から日本を変えようという主張だった。

 「沖縄の保守」の側にあってその瀬長を尊敬していたのが、昨年知事在職中に急逝した翁長雄志だった。


筆者

藤田直央

藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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