
国民栄誉賞を受賞した羽生結弦選手とのツーショットは典型的な政治のショービジネス化と言えるだろう
「英雄」たちのカリスマ性やオーラを借りる政治家たち
では、なぜ政府は要所々々に、国民栄誉賞なるものを連発するのだろうか。答えはきわめて簡単で、「人気取り」である。これまでの受賞者には歌謡曲や映画関係の有名人もいるが、最近では圧倒的にスポーツが多い。囲碁将棋も勝負事である以上、スポーツの一種だ。羽生結弦、羽生善治、松井秀喜や長嶋茂雄。私みたいにヘボ将棋は指すが、碁のルールさえ知らない人間でも、メディアを通じて井山裕太という名前は流れ込んでくる。
実際に、国民栄誉賞の授与式がテレビその他で大々的に流されると、授与する人とその党、つまり首相と自民党の支持率が上がるようだ。それまでは安倍首相も自民党も支持していなかった人が、あるいは元来は支持していたけど、モリカケなどでちょっと顔を背けていたかなりの数の人が、羽生善治や羽生結弦に表彰状が渡されるのを見て、支持に方向転換している、ということだろう。政治とはまったく無関係のショーやパフォーマンスで、相当数の人が選挙につながるかたちで意見を変えるというのだから、大変なことだ。
その意味では「がっかり」という報道のある官邸中枢も、「ザマアミロ」と書き込む批判派も、国民を支持の道具にしている、操作可能な対象にしている、ようするにバカにしているという前提は同じだ。選挙は元来は目の前の相手を重視して、議論を戦わせるべきものなのだが。
専門家が「象徴政治」と呼ぶ、こうした演出が安倍政権になってから目立つことはたしかだ。テレビ出演中のノーベル賞受賞者に電話をかけて「日本人の誇り」と絶叫する過剰演出からはじまって、トランプ大統領とのゴルフのシーンまで一連の「こっち見て」が思い出される。トランプとのゴルフには
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