藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【16】ナショナリズム 日本とは何か/隠岐にみる「島国」①
島根半島から日本海を北へ60キロほどにある隠岐諸島。青い海に囲まれ、緑あふれるこの離島を夏の休暇に訪れた人たちは、そのひとつの「島後」にあるフェリーターミナルなどで、こんな漫画の冊子を目にするかもしれない。
『優しい革命 隠岐騒動』
島の有志が7月につくったものだ。
日本のナショナリズムを考える旅で、私はどうしても島後を訪ねたかった。かつてこの地で起きた「隠岐騒動」に惹かれていたからだ。この出来事を簡単に説明する。
明治改元直前の1868年3月、徳川家の天領だった隠岐を預かる松江藩から派遣されていた「郡代」を、「皇国の民」として蜂起した島民らが追い出し、「文事」「軍事」「算用(財政)」などの部門を整えて80日間に及ぶ自治をした。
歴史通の間では、「天皇の名の下に幕藩体制を拒み決起した維新の先駆け」「1871年のパリ・コミューンより早い人民政府」などなど、様々に語られてきた。
近代国家・日本の草創期を見つめた内外の識者にも、隠岐騒動は鮮烈な印象を残した。カナダの歴史学者E.H. ノーマンは「隠岐島の事件は維新後数年間における日本の経験の縮図」と評し、日本政治思想研究者の橋川文三は「日本ナショナリズムの運命を考えようとするとき、無限に興味ある論点を提供してくれる」と述べた。
私はナショナリズムを、ひとまとまりの「国民」からなる近代国家を追求する営みとして考えている。その「国民」という「想像の共同体」(米国の政治学者、ベネディクト・アンダーソン)を創るときに課題となるのが、人々が生まれ育ち、暮らす土地に対して抱く愛郷心を、愛国心へとどうつなげるかだ。
この連載では近代国家・日本でのそうした営みをたどっている。これまで、戦前については、教育の場で進んだ「忠君愛国の人」吉田松陰の偶像化や、総力戦としての日露戦争で一体感を高めた「国民」の出現をみた。戦後には日米安保体制という新たな「国体」が現れ、それを担う在日米軍基地が集中する沖縄で、愛国心どころか政府へのわだかまりが募る様を描いた。
そして最後に、隠岐について書く。