藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【18】ナショナリズム 日本とは何か/隠岐にみる「島国」③
島国での愛郷心と愛国心について考えようと、日本海沖の国境の島・隠岐の人々の話に耳を傾けている。島根県隠岐の島町の図書館を訪ね、元館長の小室賢治さん(71)の話を聞くうち、こんな言葉が出た。
「島ですから。『隣町』は海で全世界につながっている。ロシア、北朝鮮、韓国、中国にも。その中でここで生きていかないといけない。だから愛郷心が強くなるんです」
ひとかたまりの領土という地に住む「国民」という存在は、「想像の共同体」(米国の政治学者、ベネディクト・アンダーソン)としての近代国家の産物だ。東アジアに欧米列強が押し寄せた19世紀以降、玉突きのような反作用で近代国家が次々と生まれ、海でも線引きをめぐりせめぎ合いが始まった。
だが、隠岐を活かしてきたのは、海を通じた外とのつながりだった。この連載の前々回「隠岐にみる『島国』/『皇国の民』の蜂起」と前回「隠岐にみる『島国』/愛郷心と愛国心」で触れた幕末維新の動乱期、外とのつながりで本土の政変を知り、明治政府の先を行くように天皇の名の下に自治が行われた。「隠岐騒動」である。
先に触れたように、「隠岐騒動」自体は本土の尊皇攘夷思想の影響もあり、排外的な色彩を帯びはした。しかし隠岐の人々は、国境の向こうの外とつながる感覚を、近代国家・日本が動き出した明治以降も失わなかった。
そうした実態を、「愛郷心が強くなる」と小室さんが表現したのは、こういうことではないか。離島で現実を生きていく人々にとって、海の向こうの「隣町」とつながることは、決して愛郷心とは矛盾しない。それどころか、むしろ郷土を愛するがゆえに必要なことだ。
隠岐諸島の一島、隠岐の島町がある「島後」を2月初めに歩いた私は、そんな逸話にいくつも出会った。