【19】ナショナリズム 日本とは何か/隠岐にみる「島国」④
2019年08月29日
近代国家としてひとまとまりの存在になることの追求。それをナショナリズムと呼ぶなら、領土と国境へのこだわりはその中核をなす。近代に連鎖して生まれた諸国家は、境界を仕切り合ってきた。「国民」はその争いの地に住むどころか、行ったこともない人たちが大半だが、それでも領土の境目への思いをはせ、時に愛国心をたぎらせる。
では、まさに領土をめぐる争いに直面する地に住む人々はどうか。その地に対する「愛郷心」と「愛国心」の間合いは、どんなものなのだろう。
その思いに耳を傾けようとフェリーで隠岐を訪ねたのは、今年2月だった。
島根半島から日本海を北へ67キロ。隠岐諸島で最大の島である「島後」にある島根県隠岐の島町は、そこから北西へ158キロの竹島を管轄する自治体である。ただ、その竹島は、西方にある韓国に「独島」として実効支配されてきた。
朝鮮半島から竹島へは217キロ。日本の本土から同じぐらいの距離だ。その竹島を隠岐の島町が管轄するのは、かつて島後の人々がアシカ漁をしていた縁からだ。
だが、韓国の沿岸警備隊が竹島に駐留を始めてからはや65年がたち、かつて漁に携わった島後の人々はほぼ他界している。
竹島と島後がつながっていた事実を風化させないようにと、吉田篤夫さん(60)は町役場の竹島対策・危機管理室長として、アシカ漁を知る人々への聞き取りを続けてきた。漁民が多く住んでいた久見の集落や老人ホームなどを訪ね、子の世代からも証言を集めることで、漁の様子が立体的に浮かんできた。
吉田さんが「定年」を迎える3月を前に町役場に訪ねた。「町でできることは記録を保存し、子どもたちに伝えることです。国にはそれを支えに領土や漁業権で交渉して、昔のように竹島で漁ができるようになってほしい」と話した。
町は、聞き取りの映像や音声を、2016年に開いた久見竹島歴史館に保存し、これを島内でどう教育に生かすか、島外へどう発信するかを探っている。東京・日比谷公園にある市政会館に、2018年にできた政府の「領土・主権展示館」にも証言資料は送られる。
国家を構成する自治体としての隠岐の島町で、吉田さんの竹島問題への取り組みは「ふるさとと国のために過去を見つめる」という営みと言えるだろう。では、将来を担う子どもたちに向き合う教育現場ではどうなのか。
元町立中学校校長の常角敏さん(60)と久見竹島歴史館を訪れ、そこで話を聞いた。常角さんは町の小中学校の副教材「ふるさと隠岐」の編集委員長を務めた。2007年に初版、14年に改訂版が出ている。
「やはり県の『竹島の日条例』が大きかったですね」。常角さんは、副教材の初版で竹島問題を扱うことになった経緯から話し始めた。
島根県議会が2月22日を「竹島の日」をとする条例を可決したのは2005年。百年前のその日、島後のアシカ漁業者からの要望を受け、竹島を島根県に編入した政府の閣議決定について、知事が告示していた。
地元漁民が竹島周辺で韓国の実効支配に圧迫され続けることへの不満が県議会にはあり、国に「竹島の日」制定を求めてきた。だが、国は動かない。そこで「竹島問題に対する県民と国民の理解と関心をさらに深める取り組みを行い、全国的に竹島領土権確立運動の一層の推進を図り、領土権の確立を目指す」(県HP)として、条例制定に踏み切った。
韓国では激しい反発が起きた。
「抗議の映像がテレビで流れて、子どもたちは怖がった。それで、ちゃんと教えないといけないなという話が町議会から教育委員会にあって、副教材を作りました」
「気をつけたのは、『韓国が不法占拠しているが、歴史的にも国際法的にも日本の領土だ』という2行の知識だけじゃだめだということです。歴史的な資料と合わせて中学校で教えました。すると子どもたちは安心した。状況を恐ろしいものにしているのは自分たちの側ではない、とわかったんです」
学ぶことで子どもたちが不安をなくすのは大切だ。ただ、それはまだスタートラインだった。竹島問題は、近代以後、国家同士がせめぎ合い、境界を仕切り合ってきた東アジアの近現代史の産物だからだ。
日本政府が竹島の編入を閣議決定した1905年の頃、近代国家・日本の台頭は著しかった。同年に日露戦争の日本海海戦で勝ち、講和で朝鮮半島支配の足がかりを得て5年後、大韓帝国併合に至る。韓国政府が、「独島」は日本の力による植民地化の起点だとして、竹島問題に歴史認識の角度からこだわる背景には、そうした「時系列」がある。
かたや、韓国の大統領が「独島」を取り込む海上の「李承晩ライン」を宣言したのは1952年1月。日本の敗戦で植民地から解放された朝鮮半島は分断され、韓国が北朝鮮と戦っていた朝鮮戦争のさなかだ。
日本は、その前年に署名したサンフランシスコ講和条約が発効し主権を回復する直前だった。条約に日本が放棄する地域として竹島が記されなかったため、日本政府は戦後の国際秩序においても竹島は日本領として確認されたとして、韓国の不法占拠を強調している。
常角さんによると、こうした日韓の平行線に気づき始めた町の中学生たちから、「先生、韓国ではどう教えているんですか」と質問が出るようになった。そこで、副教材を2014年に改訂する際に、韓国の教科書の内容を1ページを割いて載せることにした。
「平和的解決しかないんだから、相手の主張を理解して理性的に対話しないと。『あなたの気持ちはわかるがこうです』と言えないといけない。中学生にはとても難しいことですが……」
それでも、最近の中学生の作文に「この問題を平和的に解決できれば、日本の誇る平和主義が世界に証明される」というものがあったと常角さんは言い、笑顔で副教材「ふるさと隠岐」を見つめた。
島への愛郷心が、古来の本土との盛んな交流を通じて外との共存を探る形で育まれ、時に国境を越えていく。そんな風に隠岐を生かしてきたものに、島国としての日本の可能性も見いだせないだろうか。逸話に満ちた島後の旅を通じてそう感じた。
その旅を、ごく最近の逸話をもう一つ紹介して終わりたい。昨年に東京であった「少年の主張全国大会」で文部科学大臣賞を受けた、隠岐の島町の中学生の「ダブル」というスピーチだ。
西郷中学校で当時1年生の高梨はなさんは、父が韓国人、母は日本人だ。
スピーチでは、全校一斉の「竹島学習」でほかの生徒が「韓国が間違っている」と言うのを聞いて複雑な気持ちになったことや、食卓に韓国のりと日本のりが並ぶ家での様子などに触れて、こう結んだ。
「それぞれの違いをそのまま受け止めて、それでもすべての人が同じ人間であると理解することから、わかりあう努力は始まるのではないでしょうか。
外国人だからという理由でしたいことができない、日本人と同じように見てもらえないと悩む人がいなくなり、誰もが安心してこの国の中で暮らしていける。大好きな日本は、そんな国であってほしいのです。
私の心の中は、日本が半分、韓国が半分なのではありません。日本も、韓国もなのです。それぞれの国の良さを、胸を張って伝えたい。私はハーフではなく、ダブルの生き方を目指したいです」
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください