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平成の「国民歌」…それは「翼をください」

秘話とともに昭和に生まれ/平成の「癒やし」に育ち半世紀

市川速水 朝日新聞編集委員

ドタバタだった「翼」づくり

 「翼」のメロディーと詞には、ロングセラーならではの秘密があった。作詞家、作曲家の生の言葉とともに曲が生まれた瞬間を少し振り返ってみる。

 「翼をください」は、高度成長期にグループサウンズや歌謡曲が百花繚乱の時代に発表された。三重県で1970年11月に開かれた「合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル」がその舞台だった。「第一線で活躍する作曲家が未発表のオリジナル曲を携えて参加する新曲発表コンクール」という、今では考えられないほど贅沢なコンセプトの催しだった。

 作曲は村井邦彦さん(74)。作曲は山上路夫さん(82)。歌ったのは5人組の「赤い鳥」。「赤い鳥」は事実上のプロデビューだった。

拡大作詞家の山上路夫さん=1974年
拡大作曲家の村井邦彦さん=2017年

 村井さんはこの時期に前後して「虹と雪のバラード」(トワ・エ・モワ)、「エメラルドの伝説」(ザ・テンプターズ)、「美しき愛の掟」(ザ・タイガース)などを生み出してきた、美しいハーモニーが得意のメロディーメーカー。

 山上さんも「夜明けのスキャット」(由紀さおり)、「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)、「学生街の喫茶店」(ガロ)など歌謡史に残るヒット曲を連発する。トワ・エ・モワの「或る日突然」は、山上・村井コンビによるものだ。

 しかし、当時、新進気鋭の若手だった二人の「翼」づくりはドタバタだった。 ・・・ログインして読む
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筆者

市川速水

市川速水(いちかわ・はやみ) 朝日新聞編集委員

1960年生まれ。一橋大学法学部卒。東京社会部、香港返還(1997年)時の香港特派員。ソウル支局長時代は北朝鮮の核疑惑をめぐる6者協議を取材。中国総局長(北京)時代には習近平国家主席(当時副主席)と会見。2016年9月から現職。著書に「皇室報道」、対談集「朝日vs.産経 ソウル発」(いずれも朝日新聞社)など。

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