山本章子(やまもと・あきこ) 琉球大学准教授
1979年北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2020年4月から現職。著書に『米国と日米安保条約改定ー沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)、『米国アウトサイダー大統領ー世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2017年)、『日米地位協定ー在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書、2019年)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
今も昭和の記憶とともに生きる沖縄。平成が終わり令和を迎えた沖縄のキーワードは自立
2019年5月1日、元号が「平成」から「令和」に変わった。30年続いた平成。令和は何年続くだろうか。
本土では令和フィーバーがかまびすしいようだ。だが、ここ沖縄では(筆者は沖縄で暮らしている)、フィーバーはあまり感じない。平成を惜しむ気持ちはもちろんあるが、それよりも強く感じるのは、昭和という時代の存在感だ。
平成の前、63年の長きにわたり続いた「昭和」の記憶は、いまだに沖縄の人びとを捕らえて放さない。とりわけ強いのは、1945年の太平洋戦争末期の沖縄戦の記憶である。そこから1972年の沖縄返還までの米軍の占領期、沖縄の呼び方でいえば「アメリカ世(ゆー)」の記憶は、今もくり返し強烈に思い出され、昨日のことのように鮮やかに語られる。むしろ時間がたち、関係者が少なくなり、しがらみがなくなったことで、元号が令和に替わることをきっかけに、沖縄戦や「アメリカ世」の記憶について、語り始めた人さえいる。
そもそも沖縄では、戦争と戦後処理で支配者や帰属が変わるタイミングを、時代の区分としてきた。中国の冊封体制下にあった琉球王国時代の「唐世(とぅゆー)」、明治初期の琉球処分以後の「大和世(やまとぅゆー)」、先述の「アメリカ世」、その後、日本に復帰して再び「大和世」へ。元号による区分とは異なる歴史認識が沖縄には存在している。
沖縄の人々が、昭和の記憶とともに生き続けるのは、沖縄戦や「アメリカ世」の当事者であった日米両政府が、歴史を清算せず、むしろ忘却あるいは正当化しようとしていると感じるからだ。いまだに昭和も清算されていないのに、令和を無邪気に喜ぶことはできないのだ。
嘉手納基地(嘉手納町)や普天間飛行場(宜野湾市)は、米軍が沖縄戦での上陸と同時に占拠、あるいは建設した基地だ。普天間飛行場をめぐる有名なデマに、「何もない場所に米軍が建てた後、住民がその周囲に住み始めた」というものがある。いま普天間飛行場になっている一帯には、かつて村役場を中心とする集落があった。米軍が集落を破壊して飛行場を建設したというのが真実だ。
安倍晋三首相に近いとされる小説家が、自民党の勉強会でこのデマを事実のように話したことがあった。その時、沖縄の人々は昭和の記憶を生々しく蘇らせた。昭和は沖縄人の心の底に、いまも強く深く存在している。