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令和の沖縄が昭和を超克するために必要な政治とは

今も昭和の記憶とともに生きる沖縄。平成が終わり令和を迎えた沖縄のキーワードは自立

山本章子 琉球大学准教授

アメリカ文化に接して育った玉城知事や屋良氏

 屋良氏は1962年生まれ。アメリカが本格的にベトナムへ軍事介入していく時期に育ち、物心がつくかつかないかで日本復帰を迎えた。屋良氏より3歳年上の玉城知事も同じだ。彼らは幼年期にアメリカ人の圧倒的な豊かさを見せつけられ、ロックなどの開放的な文化に憧れを抱くという「原体験」を共有している。ベトナム戦争中、生きて帰れるかわからない米兵は戦場に行く前、沖縄であり金をはたいて遊んだ。刹那的で享楽的だが、生死をリアルに見据えた切実な「空気」もまた、彼らは知っている。

玉城デニー知事=2019年2月14日、那覇市の沖縄県庁拡大玉城デニー知事=2019年2月14日、那覇市の沖縄県庁
 玉城知事の父親は米海兵隊員だ。屋良氏も父親が基地従業員だったという点で、米兵と無縁ではなかった。屋良氏が小学生のとき、米兵が戯れにくれた『プレイボーイ』は、屋良少年にとって「宝物」だったという。屋良氏の得意料理の一つにタコスがあるが、これはヒスパニック系の多い海兵隊が、ベトナム戦争期に沖縄へ持ち込んだものだ。小麦粉とクリームコーンを混ぜて作る生地は、香ばしくモチモチで、何枚でも食べられる。屋良氏にとってタコスは、幼少の頃の思い出と分かちがたく結びついている。

 家族を通じて米軍に触れ、アメリカ文化に接して育った玉城知事と屋良氏は、「革新派」にはなれない。米軍基地の存在を全面的に否定することは、彼ら自身の生い立ちを否定することにつながりかねないからだ。とはいえ、彼らは自民党を支持する旧来の「保守派」にもなりえない。自民党の立ち位置が現実から乖離(かいり)してしまったからだ。

利益分配からイデオロギー重視に変じた自民党

 自民党の変容はいつから進んだのか。「沖縄戦世代」の翁長氏が自民党県連幹事長を務めた1990年代にはまだ、自民党を通じた中央―地方間の富の再分配機能が生きており、それが可能だった。島田懇談会(橋本龍太郎政権が1996年に設けた官房長官の私的諮問機関。島田晴雄慶応大教授が座長を務めた)で決定された計836億円の振興事業をはじめとする莫大な沖縄振興予算は、バブルが崩壊した後も世界第2位の経済大国の座を維持していた、日本経済の底力によるものだ。

 だが2000年代に入り、日本経済の低迷が深刻化するなか、国の財政は厳しくなり、自民党による富の再分配機能は必ずしも機能しなくなった。小泉純一郎内閣で実施された国と地方の「三位一体改革」、世界を揺るがせた2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災を経て、自民党政権には

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筆者

山本章子

山本章子(やまもと・あきこ) 琉球大学准教授

1979年北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2020年4月から現職。著書に『米国と日米安保条約改定ー沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)、『米国アウトサイダー大統領ー世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2017年)、『日米地位協定ー在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書、2019年)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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