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政治は経済と知った中山素平氏の細川首相への具申

元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界⑦小沢氏の夫人も参加した住専デモ

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

「銀行は大丈夫」と言った大蔵省銀行局長

1965年の証券不況で、経営危機を迎えた山一証券のため、金融機関の全面支援による再建計画を発表した日高輝社長ら。しかし、かえって危機の深刻さを印象づけたことから投資信託の解約が殺到し、証券恐慌を恐れた当時の田中角栄蔵相が日銀特融を発表する事態に追い込まれた=1965年5月21日 拡大1965年の証券不況で経営危機に陥った山一証券のため、金融機関の全面支援による再建計画を発表した日高輝社長ら。しかし、かえって危機の深刻さを印象づけたことから投資信託の解約が殺到、証券恐慌を恐れた当時の田中角栄蔵相が日銀特融を発表する事態に追い込まれた=1965年5月21日
 金融危機には前例がある。1964年から65年にかけて、大手証券各社が軒並み赤字となった。世に言う証券不況だ。日銀は公定歩合を1%以上下げるなどの手を打つが、効果はない。65年5月、政府は不況拡大を防ぐため、取りつけ騒ぎをおこした山一證券への日銀特融を決めた。7月には戦後初めて赤字国債も発行した。これでようやく物価は上昇し、昭和恐慌の再来を未然に防げたのだ。田中角栄大蔵大臣(当時)の決断だった。

 この“故事”を踏まえ、中山素平さんは細川総理に言った。

 「角さんの時は、銀行も経済界もついてきてくれましたが、今はどこも体力がない。総理のあなたが一人でやらなければなりません」

 そう言われて、総理と言えども困ったのだろう。中山素平さんたちの情報分析を信用しなかったわけではないだろうが、大蔵省の寺村信行銀行局長に問い合わせた。

 その間、私は公邸の庭を眺めていた。庭に面したその部屋には、日本新党にあった大きな一枚板の白木のテーブルがあり、私たちはその周りに座っていたので、懐かしい思いに一瞬浸った。しかし、寺村局長の返事で現実に引き戻された。

 「現在の不良債権の額を大蔵省は把握してますか? 関西のほうの銀行が危ないという話もありますが」

 そう聞いた総理に局長は、「銀行は大丈夫です。不良債権も12兆5千億ほど。たいしたことありません」と答えたのである。

 そんな馬鹿な!

資金注入の量を答えられなかった中山素平氏の無念

 我が国は、バブル絶頂期、名目で2千兆円の不動産と金融資産があったのだが、バブル崩壊によって実に半分の1千兆円になってしまったことを、中山さんたちは気づいていて、だからこそ早めに処理が必要と言いにきたのだ。その処理にも相当な額がいると感じていたのに、たいしたことはないといわれてしまったのである。

 中山さんたちは実情はそんなものではないと考え、だからこそ総理に公的資金投入を直訴したのだ。だが、惜しむらくは、損失の総額を把握できていなかった。総理から「どのくらいの資金投入が必要か」と聞かれ、はっきりとは答えられなかった。

 当時ゴールドマンサックスにいたアナリストのデービッド・アトキンソン氏は、バブル崩壊後の日本の銀行に眠る巨額の不良債権を指摘し、2百兆円の資金投入が必要だというレポートをその後、出している。中山さんたちが、莫大な不良債権の処理が早急に必要だと察知したのは先見の明があったことになる。しかし、総額が分からなければ、総理も決断のしようがない。

 当時は、「銀行もどこも危機などありませんよ。いったい誰が総理にそんなオオカミ少年みたいな話をお耳に入れたんですか」とも大蔵省の幹部に言われたものだが、その後の莫大な公的資金の投入と、それをもってしても金融崩壊をとめられなかった厳しい現実をみるにつけ、1993年のあの時、総理が公的資金注入を決断していたら、日本の「失われた10年」とも「20年」とも言われた経済の停滞を防げたのではないか。歴史に「if」(もしも)はないとわかっていても、悔まれてならないのである。

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筆者

円より子

円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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