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政治は経済と知った中山素平氏の細川首相への具申

元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界⑦小沢氏の夫人も参加した住専デモ

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

無関心だった私が経済と向き合ったわけ

 私は大学でシェイクスピアにのめりこんでいた。シェイクスピアの時代の芝居は、日本の歌舞伎のように役者は男性だけ。ジュリエットもオフェーリアもすべて男性が演じていたが、女子大にいた私は、女性だけで「マクベス」や「十二夜」、「真夏の夜の夢」、「じゃじゃ馬馴らし」を演じていた。

 「リア王」の中で庶子のエドモンドが、「年寄りばかりが大金をもっていて、若い者が使える金もないなんて不公平じゃないか」と吐き捨てる場面や、「ベニスの商人」に登場する金貸しシャイロックの振る舞いなどから、人間と経済の密接な関係を知ったり、経済が「経国済民」という意味であることを理解したりはしていても、「経済」というものに私は関心を持てなかった。大学卒業時には、かなりの倍率のダイヤモンド社(経済やビジネス書をだしている)に合格し、人事部長が説得にまで来てくれたのに、「やっぱり経済は私に向かない」と偉そうに入社を断ったりもした。

中山素平さん90歳の誕生日。円より子と円の「ブレーン」たち=1996年3月5日拡大中山素平さん90歳の誕生日。円より子と円の「ブレーン」たち=1996年3月5日
 そんな私が参議院の決算委員会や予算委員会、金融財政委員会に長く所属するようになったのは、1993年暮れに中山素平さんらと細川総理に会いにいった、このときの経験が大きく影響している。

 専門家が提言しても、経済の未来を予測するのは難しく、総理一人では決断できないこと。たぶん事態を予測していたに違いない大蔵省や銀行局長も、難局から逃げ腰になること。1~2年後のことでさえ、きちんと予測して国民のために手を打つことが、実は至難の業であることを、皮膚感覚で理解したからだ。その後、1990年代半ば以降、倒産や失業、自殺が日本国中にあふれることになる。

 失業手当も生活保護などの社会保障も大事だと私は思う。しかし、おおもとの国の経済が崩壊しては何もできない。それこそ経済を建て直すため、戦争さえおこす人たちがいるのは、歴史を少しでもひもとけば明白だ。

住専処理のため6850億円の公的資金投入に反対の嵐

 経済は人々の命とくらしを守る根源である。そう思い至り、必死に勉強を始めた経済オンチの私を支えてくれたのは、先述した新政策フォーラムの「ブレーン」たちだった。花形の予算委員会ではなく、地味だが決算委員会に入ってじっくり勉強しなさいと勧めてもくれた。

 その決算委員会で、私が初めて質問をしたのは1995年12月26日だ。取り上げたのは住専問題だった。

 バブル期に個人向けの住宅ローンだけでなく、事業者向け融資を急増させていた住宅金融専門会社、いわゆる住専は、バブル経済の崩壊によって、総額10兆円にも及ぶ負債を抱え、一社をのぞいて倒産。これらの住専に農林系金融機関などが貸しこんでいたため、金融システムの破綻(はたん)を避ける必要から、政府は住専処理法を提出した。村山富市内閣の時である。

「住専」デモで町を練り歩く、左から鳩山邦夫さん、小沢一郎さん、円、沢たまきさん=1996年2月22日拡大「住専」デモで町を練り歩く、左から鳩山邦夫さん、小沢一郎さん、円、沢たまきさん=1996年2月22日
 日本新党とともに連立政権に参加していた社会党と新党さきがけは、細川政権が崩壊した後、野党だった自民党と組んで、「自社さ政権」をつくる。社会党の村山富市さんが総理になり、さきがけの武村さんが大蔵大臣となっていた。

 この法案が成立したのは1996年6月だが、村山内閣が前年1995年12月19日、住専処理のため6850億円の公的資金投入を決めると、たちまち反対の嵐がまきおこった。当時、私が属していた新進党は街頭でデモを繰り広げた。

 執行部メンバーの夫人たちまで動員し、96年3月15日には雨の中を国会前でデモ行進もしてもらった。こういう集まりにはめったに参加しない小沢一郎さんの夫人や、海部俊樹さんらの夫人も集まって下さった。

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筆者

円より子

円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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