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戦後最年少宰相・安倍氏と常識人・福田首相の挫折

平成政治の興亡 私が見た権力者たち(15)

星浩 政治ジャーナリスト

第1次安倍内閣が発足。記者会見に臨む安倍首相=2006年9月26日、首相官邸拡大第1次安倍内閣が発足。記者会見に臨む安倍首相=2006年9月26日、首相官邸

52歳の安倍氏、戦後最年少で首相に

 52歳。戦後最年少で首相となった安倍晋三氏は2006(平成18)年9月26日、国会で首班指名を受けると、ただちに組閣と自民党役員人事に着手した。

 内閣の要ともいえる官房長官は、同じ派閥の側近を登用するケースが多いが、安倍首相は所属する森派ではなく、ハト派の宏池会(当時は丹羽・古賀派と呼ばれていた)に所属する塩崎恭久氏を抜擢(ばってき)した。塩崎氏は日銀勤務の後、1993年の衆院選で初当選。安倍氏とは、根本匠、石原伸晃両氏を加えた4人で集まり、それぞれの頭文字をとって「NAIS」(ナイス)という会で政策の勉強を続けてきた。まさしく「お友達」である。

 外相には麻生太郎氏が再任され、総務相には当選4回の菅義偉氏が起用された。菅氏は、早くから北朝鮮の拉致問題に対する制裁をめぐって安倍氏と協力してきた経緯があり、この入閣は第2次安倍政権の安倍首相・菅官房長官体制につながっていく。また、自民党幹事長には森派の中川秀直氏、政調会長には安倍氏と気脈の通じるタカ派の中川昭一氏が就いた。

電撃的な中国訪問

 安倍首相はまず、外交で動いた。小泉前首相が任期中、毎年、靖国神社を参拝したことですっかり悪化していた日中関係を改善するため、電撃的な中国訪問に踏み切ったのだ。

胡錦濤国家主席(右)と会談する安倍晋三首相(左)=2006年10月8日、北京・人民大会堂拡大胡錦濤国家主席(右)と会談する安倍晋三首相(左)=2006年10月8日、北京・人民大会堂
 10月8日に北京を訪れた安倍首相は胡錦濤国家主席と会談し、日中関係について「戦略的互恵関係」と位置づけた。両国間にはさまざまな問題があっても、お互いの利益にために長期戦略として友好関係を築くという意味だった。靖国神社参拝について安倍首相は、行くとも行かないとも言わない姿勢を見せたが、中国側はあえて追及せず、首脳会談は円満に終了した。

 これには伏線があった。外務省の当時の事務次官、谷内正太郎氏が中国側と極秘裏に接触。安倍首相は在任中の靖国神社参拝は見合わせるだろうという見通しを伝え、中国側はこれを評価していた。

 谷内氏と安倍首相との付き合いは1983年にさかのぼる。安倍氏の父、晋太郎氏が外相で、晋三氏はその秘書官。谷内氏は松永信雄外務事務次官の秘書官で、二人は大臣と次官の秘書官同士で親交を深めた。外務省条約局長などを経て事務次官になった谷内氏は、以来、安倍氏の外交指南役を続ける。第2次安倍政権では、新設された首相直属の国家安全保障局の初代局長に就き、安倍外交の司令塔となった。

 翌日の9日、訪中を終えて韓国に向かう安倍首相に伝えられたのが、北朝鮮が初の核実験を強行したという情報だった。ソウルでの盧武鉉大統領との日韓首脳会談の最大のテーマも北朝鮮の核への対応だった。その後、北朝鮮の核問題は、東アジアの安全保障の最大の課題であり続ける。


筆者

星浩

星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト

1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。

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