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戦後最年少宰相・安倍氏と常識人・福田首相の挫折

平成政治の興亡 私が見た権力者たち(15)

星浩 政治ジャーナリスト

参院選で自民党が惨敗、「ねじれ」国会へ

 政権に厳しい状況下、7月12日に公示された参院選では、選挙事情に通じる民主党の小沢代表が巧みな戦術を繰り出した。

 まずコントラスト作戦。岡山選挙区の片山虎之助・参院幹事長のような自民党の長老候補には、対照的なイメージを持つ女性の新顔候補をぶつけた。次に川上作戦。選挙中、小沢氏は都市部に注ぐ河川の上流に位置する山間部で演説を重ねた。安倍首相が有権者の多い都市部を重点的に回ったのに対して、「民主党は地方重視」を印象づけた。小沢氏は地方行脚で労組の連合幹部と懇談。細かな選挙戦術を伝授した。

民主党が躍進した参院選後、初めて公の場に姿を見せた小沢一郎代表=2007年7月31日、東京・永田町拡大民主党が躍進した参院選後、初めて公の場に姿を見せた小沢一郎代表=2007年7月31日、東京・永田町
 この年は4年に1度の統一地方選と3年に1度の参院選が重なる「亥年」。地方選を終えて疲れた地方議員たちが参院選での活動に力が入らず、自民党は苦戦するというジンクスがある年だ。くわえて、小泉政権下の公共事業削減や規制緩和によって、大都市と地方、大企業と中小企業の間の格差が拡大していることに、有権者は不満を募らせていた。

 投票日の7月29日。自民党は改選議席64を大幅に減らす37議席。29の1人区で自民党が勝ったのは、わずか6選挙区にとどまり、片山虎之助氏をはじめ有力候補が軒並み落選した。民主党は改選前の32から倍増の60議席を獲得。参院第一党に躍進した。公明党は改選12に対して9議席。共産党3議席、社民党2議席などとなった。衆院は与党が圧倒的な多数だが、参院では野党が多数を占める「ねじれ」国会が現出した。

体調悪化で突然の辞任

 自民党惨敗を受け、安倍首相の進退が焦点となる。だが、安倍氏は「改革を続行し、新しい国づくりをすると約束した。約束を果たすことが、私の責任、使命だ」と語り、続投を宣言した。

 安倍首相は8月19日から25日までインドネシア、インド、マレーシアを歴訪。27日に自民党役員人事と内閣改造を行い、政権の建て直しを図ろうとした。ただ、この時の外遊に同行した政府関係者から当時、こんな話を聞いた。「安倍首相は外遊中、頻繁にトイレに駆け込み、かなりつらそうだった。首相の激務はとうてい務まらないだろう」

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 持病の潰瘍性大腸炎に加え、機能性胃腸障害が悪化していたという。

 自民党役員人事では、麻生太郎氏を幹事長、二階俊博氏を総務会長、石原伸晃氏を政調会長に充てた。官房長官には、与謝野馨氏を起用。体制を整えて、9月10日からの臨時国会に臨んだ。だが、初日に所信表明演説を行った安倍首相に12日午後からの代表質問に対応できる体力はなかった。

 12日午後2時。緊急会見をした安倍首相は退陣を表明。首相在任約1年の、あっけない幕切れだった。

 第1次安倍政権は、憲法改正、アジア外交の立て直し、経済再生など幅広い課題に取り組もうとした。だが、「お友だち」中心の政権運営は脇が甘く、緊張感に欠けた。小泉改革で生じた格差などをめぐり、社会に広がる不満に十分に対応できず、志半ばでの退場となった。

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筆者

星浩

星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト

1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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