知られざる戦後日本におけるフリーメイソンの歴史 河井弥八の入会から進級まで
2019年05月07日
あなたは「フリーメイソン」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
多くの人は「世界の真の支配者」やら「歴史上の偉人が実はフリーメイソンだった!」など、日常生活で接することがない、いかにも怪しげな存在で、良く分からないもの、そんなイメージを持っているのではないか。
フリーメイソンに怪しげなイメージがついたのは最近の事ではない。第1次世界大戦後にフリーメイソンが世界を動かす秘密結社だという「陰謀論」が、日本にも流れ込んだ。「民本主義」の提唱者として著名な吉野作造が、フリーメイソンを擁護したこともある(苅部直「大正グローバリゼーションと「開国」」同『歴史という皮膚』〔岩波書店、2011年〕所収)。
それから1世紀近く経ってなお、陰謀論が盛んなのに対して、戦後日本のフリーメイソンの歴史はほとんど語られることがない。せいぜい関係者の回想やフリーメイソンの公式HPで語られる程度である。
本稿は、戦後日本のフリーメイソン設立時から関与した、河井弥八(かわい・やはち)の日記を用いることで、フリーメイソンの歴史を描くという野心的な(無謀な?)試みである。
静岡県掛川市出身で、戦前は宮中に仕え、侍従次長などを歴任した。その後、貴族院議員を務め、戦後は参議院議員や参議院議長、文化財保護委員長などを歴任した人物である。
河井は1950年にフリーメイソンに入会した。戦後日本における最初期の入会者である。1955年には鳩山一郎首相と一緒にマスターメイソンに昇格している。当時、河井は参議院議長だった。
ちなみに、フリーメイソンの階級は、エンタード・アプレンティス(見習い)、フェロークラフト(職人)、マスターメイソン(親方)の三つである(片桐三郎『入門フリーメイスン全史』アムアソシエイツ、2006年、94-95頁)。
河井はその生涯に膨大な日記を残している。宮中に関する部分は、『昭和天皇実録』にも活用されている。当然ながら、政治活動や静岡県の情報も豊富で、多面的な読み方が出来る、面白い日記である。
筆者は、「河井日記研究会」の一員として、戦後の日記の編纂・刊行に関わっている。作業を進める中で、河井がフリーメイソンに入会していたことを知った。日本のフリーメイソンに関して信頼できる資料が少ないなか、戦後の日本で日本人が入会した前後からフリーメイソンに関与した河井の資料は、きわめて貴重である。
まずは、日本におけるフリーメイソンの歴史を眺めてみたい。
日本におけるフリーメイソンの歴史は意外と古く、江戸時代後期まで遡る。長崎の出島を訪れたオランダ人が、フリーメイソンを日本に伝えた嚆矢(こうし)である。日本人では、幕末にオランダを訪れた西周や津田真道が1864(元治元)年に入会したという記録が存在する。
昭和の戦前期、日本にも複数のロッジ(会所)が存在した。戦争が始まると諸外国との関係を疑われ、活動停止に追い込まれたが、戦後、活動を再開。「フィリピン・グランド・ロッジ傘下に占領軍の関係者を中心として日本国内でロッジの開設が始まり、昭和22年(1947)から昭和31年(1956)の10年間に16のロッジが設立されました。占領下の日本において、メイスン会員であった連合軍総司令官のマッカーサー元帥は民主主義精神を基本とするフリーメイスンの理念を積極的に奨励しました。その結果、日本人の参加が可能となり、昭和25年(1950)には日本で初めて5名の国会議員を含む7人の日本人が入会しました」という(「日本のフリーメイスン」2018年10月19日閲覧)。
一例を挙げると、戦後に横須賀米国海軍基地司令官を務めたデッカーの自伝には、横須賀にロッジを作る様子が記されている(ベントン・W・デッカー、エドウィーナ・N・デッカー著、横須賀学の会訳『黒船の再来 米海軍横須賀基地第四代司令官デッカー夫妻回想記』Kooインターナショナル出版部、2011年)。
もともと日本人の参加が認められていなかったフリーメイソンに、戦後になって参加が認められた。その経緯を河井日記で確認したい。引用する日記の出典は、尚友倶楽部/中園裕・内藤一成・村井良太・奈良岡聰智・小宮京編『河井弥八日記 戦後篇2 [昭和二十三年 ― 二十六年]』(信山社、2016年) と『河井弥八日記 戦後篇4 [昭和三十年 ― 三十二年]』(信山社、2019年)である。
「三島通陽氏の紹介にてFree Mason係(日本及朝鮮担当)少佐Michael Arthur Rivisto氏と会見し、茶菓を饗せられ説明を聴き、入会を慫慂せらる。右運動の真相を識り、従来の誤解を一掃したり」(12月18日)
河井は12月20日に入会手続きを済ませた。さらに
「Free Mason準備会に出席す。Major Rivisto氏の外七、八名の米人あり。佐藤、三島、下条、高橋、植原、芝諸氏出席す。入会金は一人五千円に決せしに、それにては不足なるを以て可能だけ醵出することとす。又徳川宗敬氏の入会は第一回として取扱ふことに決定せらる。最後に明年一月五日入会式を挙ぐることを決定」(12月27日)
日記から分かる通り、河井は準備会の段階から参加しており、戦後最初期の時点から勧誘されていた。12月18日の日記に「従来の誤解を一掃」とあるのは、戦前からフリーメイソンの陰謀論が広まっていたことを指すのだろう。つまり怪しい「秘密結社」ではないと判断したからこそ、河井は入会することを承諾したのである。
河井と会見したリヴィストは、各方面でフリーメイソンへの入会を勧誘していた人物である(山屋明『日本のフリーメイスン』あさま童風社、1996年、170頁)。
河井を勧誘した三島通陽(みしま・みちはる)も興味深い人物である。祖父は三島通庸であり、父・三島弥太郎の長男にあたる。戦前は貴族院議員を務め、戦後は国民協同党から1947(昭和22)年に参議院議員に当選した。余談だが、2019年の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の主人公・金栗四三の親友として登場する三島弥彦(みしま・やひこ)は、通陽の父・弥太郎の弟にあたる(尚友倶楽部・内藤一成・長谷川怜編『日本初のオリンピック代表選手 三島弥彦 伝記と史料』芙蓉書房出版、2018年)。
三島が緑風会所属の参議院議員だった縁であろう。河井も含め、12月27日の日記に出てくる、佐藤尚武、下条康麿、高橋龍太郎、徳川宗敬らは全員、緑風会所属の参議院議員だった。ちなみに徳川宗敬は一橋徳川家第12代の当主である。
河井日記には、日本人が初めて入会した日の記録は存在するのだろうか。
河井が1949年末に結成準備会に誘われていることを踏まえれば、1950年1月5日の会に出席するのが当然かもしれない。だが、河井日記に出席の記述は存在しない。河井は会合を欠席していた。その年の6月に参議院議員選挙を前に地元に戻っており、東京の会合どころではなかったためである。河井のフリーメイソンに対する関心はその程度にすぎなかった。
河井がフリーメイソンの会合に顔を出したのは3月のことであった。「Free Mason、2―5 : 30。iniciate ceremony。植竹春彦氏、徳川宗敬氏、河井弥八、高田寛氏、Stewarts、三島通陽氏、村山氏」(3月18日)
河井日記からは当時の会員が確認できる。ちなみに当初5千円だった入会金は(1949年12月27日)、2万円に値上げされた(1950年3月11日)。入会金は元来3万円だった。しかし当時の日本人には高すぎる金額だったため、当初は5000円と抑えられた。議論の末に3万円になったという(Nohea O.A. Peck, Masonry in Japan: The First One Hundred Years, 1866-1966. Privately printed for the Grand Lodge of Free and Accepted Masons of Japan 1966, p.100.)。河井日記にある「2万円」は、あるいは最終的に3万円に決定する途中の金額だったのかもしれない。
参考までに、1951年1月の国会議員の歳費(月額)は4万3千円、1952年の大卒初任給(月額)は1万166円であった(森永卓郎監修『物価の文化史事典』展望社、2008年)。ついでに、現在の会費は、ロッジごとに違うが「入会金4万5千円くらい、年会費8千円くらい」だという(原田朱美「フリーメイソンって会費いくら?「儀式」って何? 意外すぎる日常」『withnews』2017年4月27日付)。
「河井日記」には、その後もフリーメイソン関係の記述が散見される。すべてを引用する紙幅はないので、一つだけ引用したい。1951年にはフィリピンのメーソンの来日にあわせたパーティーについての記述である。
「参議院議長公邸に送らる。日本masonの比島mason来朝者歓迎のTea Partyに列席す。比島側は十五、六名、米人を加へて約二十名、日本側は小松代表、佐藤議長、鳩山氏、李王様を加へ二十五、六名出席す。天気晴朗、新緑鮮麗なり」(1951年5月3日)
鳩山一郎や、「李王様」こと李王家の当主・李垠(イ・ウン)が参加していることが分かる。李垠は東久邇宮稔彦と並ぶ、著名人のフリーメイソン入会者であった(Masonry in Japan, p.100.)。
1955(昭和30)年に入ると、河井は鳩山一郎首相と一緒に、二階級進級して
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