小宮京(こみや・ひとし) 青山学院大学文学部教授
東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は日本現代史・政治学。桃山学院大学法学部准教授等を経て現職。著書に『自由民主党の誕生 総裁公選と組織政党論』(木鐸社)、『自民党政治の源流 事前審査制の史的検証』(共著、吉田書店)『山川健次郎日記』(共編著、芙蓉書房出版)、『河井弥八日記 戦後篇1-3』(同、信山社)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
知られざる戦後日本におけるフリーメイソンの歴史 河井弥八の入会から進級まで
あなたは「フリーメイソン」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
多くの人は「世界の真の支配者」やら「歴史上の偉人が実はフリーメイソンだった!」など、日常生活で接することがない、いかにも怪しげな存在で、良く分からないもの、そんなイメージを持っているのではないか。
フリーメイソンに怪しげなイメージがついたのは最近の事ではない。第1次世界大戦後にフリーメイソンが世界を動かす秘密結社だという「陰謀論」が、日本にも流れ込んだ。「民本主義」の提唱者として著名な吉野作造が、フリーメイソンを擁護したこともある(苅部直「大正グローバリゼーションと「開国」」同『歴史という皮膚』〔岩波書店、2011年〕所収)。
それから1世紀近く経ってなお、陰謀論が盛んなのに対して、戦後日本のフリーメイソンの歴史はほとんど語られることがない。せいぜい関係者の回想やフリーメイソンの公式HPで語られる程度である。
本稿は、戦後日本のフリーメイソン設立時から関与した、河井弥八(かわい・やはち)の日記を用いることで、フリーメイソンの歴史を描くという野心的な(無謀な?)試みである。
そもそも河井弥八とは何者なのか。
静岡県掛川市出身で、戦前は宮中に仕え、侍従次長などを歴任した。その後、貴族院議員を務め、戦後は参議院議員や参議院議長、文化財保護委員長などを歴任した人物である。
河井は1950年にフリーメイソンに入会した。戦後日本における最初期の入会者である。1955年には鳩山一郎首相と一緒にマスターメイソンに昇格している。当時、河井は参議院議長だった。
ちなみに、フリーメイソンの階級は、エンタード・アプレンティス(見習い)、フェロークラフト(職人)、マスターメイソン(親方)の三つである(片桐三郎『入門フリーメイスン全史』アムアソシエイツ、2006年、94-95頁)。
河井はその生涯に膨大な日記を残している。宮中に関する部分は、『昭和天皇実録』にも活用されている。当然ながら、政治活動や静岡県の情報も豊富で、多面的な読み方が出来る、面白い日記である。
筆者は、「河井日記研究会」の一員として、戦後の日記の編纂・刊行に関わっている。作業を進める中で、河井がフリーメイソンに入会していたことを知った。日本のフリーメイソンに関して信頼できる資料が少ないなか、戦後の日本で日本人が入会した前後からフリーメイソンに関与した河井の資料は、きわめて貴重である。
まずは、日本におけるフリーメイソンの歴史を眺めてみたい。
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