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日本のフリーメイソンのこと知ってますか?(上)

知られざる戦後日本におけるフリーメイソンの歴史 河井弥八の入会から進級まで

小宮京 青山学院大学文学部教授

朝日新聞も報じた日本人のフリーメイソン加入

 河井日記には、日本人が初めて入会した日の記録は存在するのだろうか。

 河井が1949年末に結成準備会に誘われていることを踏まえれば、1950年1月5日の会に出席するのが当然かもしれない。だが、河井日記に出席の記述は存在しない。河井は会合を欠席していた。その年の6月に参議院議員選挙を前に地元に戻っており、東京の会合どころではなかったためである。河井のフリーメイソンに対する関心はその程度にすぎなかった。

拡大第16特別国会で佐藤尚武前参議院議長(右)から事務引き継ぎをうける新議長河井弥八氏(緑風会)=1953年5月19日、国会
 当時の「朝日新聞」には、「日本にもフリー・メーソン 佐藤議長ら十氏加入」という見出して、結成を伝える記事が掲載されている。入会者として、佐藤尚武(当時、参議院議長)、植原悦二郎、高橋龍太郎、三島通陽、栗山長次郎の名前が報じられた(「日本にもフリー・メーソン 佐藤議長ら十氏加入」『朝日新聞』1950年1月8日朝刊)。実に開かれた「秘密結社」ではないか。

 河井がフリーメイソンの会合に顔を出したのは3月のことであった。「Free Mason、2―5 : 30。iniciate ceremony。植竹春彦氏、徳川宗敬氏、河井弥八、高田寛氏、Stewarts、三島通陽氏、村山氏」(3月18日)

当時の会員全員が確認できる河井日記

 河井日記からは当時の会員が確認できる。ちなみに当初5千円だった入会金は(1949年12月27日)、2万円に値上げされた(1950年3月11日)。入会金は元来3万円だった。しかし当時の日本人には高すぎる金額だったため、当初は5000円と抑えられた。議論の末に3万円になったという(Nohea O.A. Peck, Masonry in Japan: The First One Hundred Years, 1866-1966. Privately printed for the Grand Lodge of Free and Accepted Masons of Japan 1966, p.100.)。河井日記にある「2万円」は、あるいは最終的に3万円に決定する途中の金額だったのかもしれない。

 参考までに、1951年1月の国会議員の歳費(月額)は4万3千円、1952年の大卒初任給(月額)は1万166円であった(森永卓郎監修『物価の文化史事典』展望社、2008年)。ついでに、現在の会費は、ロッジごとに違うが「入会金4万5千円くらい、年会費8千円くらい」だという(原田朱美「フリーメイソンって会費いくら?「儀式」って何? 意外すぎる日常」『withnews』2017年4月27日付)。

 「河井日記」には、その後もフリーメイソン関係の記述が散見される。すべてを引用する紙幅はないので、一つだけ引用したい。1951年にはフィリピンのメーソンの来日にあわせたパーティーについての記述である。

 「参議院議長公邸に送らる。日本masonの比島mason来朝者歓迎のTea Partyに列席す。比島側は十五、六名、米人を加へて約二十名、日本側は小松代表、佐藤議長、鳩山氏、李王様を加へ二十五、六名出席す。天気晴朗、新緑鮮麗なり」(1951年5月3日)

 鳩山一郎や、「李王様」こと李王家の当主・李垠(イ・ウン)が参加していることが分かる。李垠は東久邇宮稔彦と並ぶ、著名人のフリーメイソン入会者であった(Masonry in Japan, p.100.)。

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筆者

小宮京

小宮京(こみや・ひとし) 青山学院大学文学部教授

東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は日本現代史・政治学。桃山学院大学法学部准教授等を経て現職。著書に『自由民主党の誕生 総裁公選と組織政党論』(木鐸社)、『自民党政治の源流 事前審査制の史的検証』(共著、吉田書店)『山川健次郎日記』(共編著、芙蓉書房出版)、『河井弥八日記 戦後篇1-3』(同、信山社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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