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日本のフリーメイソンのこと知ってますか?(下)

知られざる戦後日本のフリーメイソンの歴史 日本グランド・ロッジ設立を巡る混乱

小宮京 青山学院大学文学部教授

日本グランド・ロッジの設立が延期

 話を戻すと、李垠と二木、この二人の存在が、グランド・ロッジ設立に向けての日本側の懸念事項であった。日本グランド・ロッジを設立した場合、李垠が最有力ではないもののグランドマスター候補にあがっており、二木が李垠を通じて介入し、問題が発生することが危惧されていた。河井らは李垠のグランドマスター就任を阻止すべく、グランド・ロッジの設立そのものを阻止に動いた。

 「五時半公邸にて Free Mason 有志を招き協議をなす。(略)晩餐を呈し約四時間に亘りて、(1)日本の Lodge を独立せしむべきや否や、(2)李王殿下の Masterを如何にするや、特に殿下の紹介にて入会せし二木某の横暴を如何にして措置するや、等に付所見を交換す。其結果(1)Lodge の独立は尚早なり、他年を期すべし、(2)李王殿下の名誉を重んずる為自発的にMasterの辞任を申出らるやう仕向けたし、特に二木某は昇進阻止は勿論Mason Masterより脱退せしむるを要するに一致し、十時過散会す」(3月5日)

 「三時 Grand Master William Eichorn 来訪す。(略)E氏は氏も亦 Lodge の独立は尚早なり、少くとも二年後にすることが適当なり(略)と答へたり」(3月6日)

 河井らは李垠のマスター引退を企図した。自発的引退が望ましいが、それが望めぬならば、グランドマスターの罷免権により除名することを考慮した旨、記している(3月6日)。日本側の李と二木に対する強硬姿勢を確認したことで、当初グランド・ロッジ設立を促したフィリピン側も説得された。3月6日の会談で、Eichornはそれまでの態度を翻し、グランド・ロッジ設立を「少くとも二年後にすることが適当」と回答した。

 最終的に、李と二木の問題は、日本側関係者の間では3月15日に李のマスター引退という方針で決着した。こうして、グランド・ロッジ設立そのものを見送ることによって、李のグランドマスター就任の可能性を消滅させたのである。3月は「政界ジープ事件」が表面化しつつあった時期であり、河井ら日本側の警戒は当然であった。

突如、強行された設立

拡大1956年の参院選で落選した河井弥八氏=1956年7月9日、静岡県掛川市の自宅
 1956年に「少くとも二年後」以降と勧められたグランドロッジ設立が、1957年に入って突如強行された。それが、日本の関係者に混乱を引き起こしたことが
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筆者

小宮京

小宮京(こみや・ひとし) 青山学院大学文学部教授

東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は日本現代史・政治学。桃山学院大学法学部准教授等を経て現職。著書に『自由民主党の誕生 総裁公選と組織政党論』(木鐸社)、『自民党政治の源流 事前審査制の史的検証』(共著、吉田書店)『山川健次郎日記』(共編著、芙蓉書房出版)、『河井弥八日記 戦後篇1-3』(同、信山社)など。

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