「憲法尊重擁護義務」は平成で終わったのか(上)
“立憲主義の柔らかいガードレール”が無力化されたわけと日本国憲法の現状を検証する
倉持麟太郎 弁護士(弁護士法人Next代表)

日本国憲法の原典
勝手気儘な権力と盲目的な偶然の支配する、長いあらたな一日を前にして、神の被造物である森羅万象は、刑の執行をいつものように延期され、自己破壊を再び免れて、苦痛と緊張の中に横たわっていた=W.H.オーデン『不安の時代』(1993年、国文社)
令和フィーバーでいいのか
さる4月1日、新元号「令和」が発表された。世間は新たな時代がやってくるとばかりに、フィーバーの様相だ。狂騒のうちにこの時代が抱える本質的問題から目を背けていいのだろうか?
私はそうは思わない。令和の幕開けにただ単に“リセット”するのでなく、目の前の現実を正確に把握し、「昭和」が抱えた病理にその場しのぎのあて布しかしてこなかった「平成」についての反省を、いかすよう努めなければならない。
大きな反省のひとつが日本国憲法への我々日本人の向き合い方だ。日本国憲法は、「平成」の終わりにあたり、ノックアウトされダウン寸前にみえる。
“民主主義の柔らかいガードレール”とは
日本国憲法をめぐる議論の最大の問題は、戦後の日本が抱える現実的必要性に迫られ、難易度の高い対処療法的解釈論を駆使した結果、文言の射程や外延がむしろ不明確になり、改憲派も護憲派も「現実に影響がなければそれでよい」という通奏低音の上で「協奏」した点にある。
「変えても何も変わらない」という、いわゆる“安倍加憲”提案は、この通奏低音の上での「協奏」の最高度かつ無責任な昇華形態である。
「変えても何も変わらない」という、トートロジーのような憲法“改正”提案や、文言からはおよそ読み取れない規範の導出、その裏返しとしての明確かつ一義的な文言への違反ないし挑戦……。昭和のあの戦争後、われわれが手にした新憲法とこれを取り巻く法文化は、平成の終わりにどのように総括されるべきなのか。
民主政治(ここではアメリカ社会を念頭においているが)における「相互的寛容」(競い合う政党が、お互いを正当なライバルとして受け容れるという理解)と「自制心」(組織的特権を行使するとき、政治家は節度をわきまえるべきであるという考え)という暗黙の規範を、硬いガードレールともいえる「制度」や法的義務との対比で、“民主主義の柔らかいガードレール”とする説明がある(スティーブン・レビツキ/ダニエル・ジブラット『民主主義の死に方』〈2008、新潮社〉)。こうした民主主義的な暗黙の規範が、誰が為政者になっても、政敵を正当なライバルとみなし、自己が権力者になったときも、自己にのみ有利に権力行使をしないという歯止めになっていたというのだ。
しかし、近時、この“柔らかいガードレール”は、社会の分断に呼応するかたちで、極めて弱められているという。