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小沢一郎の改革を妨げた検察の根拠なき捜査

(9)「陸山会事件」は単なる記載ミス。検察捜査の跡に政治改革の残骸だけが残った

佐藤章 ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長

拡大東京地検の事情聴取後の記者会見で質問を受ける民主党の小沢一郎幹事長=0210年1月23日、東京都千代田区

「小沢改革」を阻んだ東京地検特捜部

 一体、この日本はいつになったらまともな国になるのだろうか。そして国民はいつになったら事実に対して曇りのない目を開き、その事実に基づいてまっすぐに考えをめぐらすことができるのだろうか。

 この連載の主人公、小沢一郎は憎しみに近い敵意に満ちた曇りだらけの目に囲まれ、政治人生の頂点に近い3年間をほとんど空費した。日本政治の改革にかける小沢はそれでもおのれの使命感を捨てず、3度目の政権交代に向けて異様なほどの闘志を燃やしている。

 しかし、小沢の目指した改革が中途半端に終わらざるをえなかったために、国民が被った損害は限りなく大きい。

 小沢と国民の行く手を阻んだものは一体どんな姿をしていたのか。いま冷静になって顧みてみれば信じがたいことだが、そこには何もない。ただ、張り子の虎のような幻だけがおどろおどろしく踊り、小さい自己保身と上昇志向だけを頼りとする無知な人々が口々に騒ぎ立てていただけのことだった。

 前回の小沢一郎戦記『小沢一郎が構想した予算編成』では、小沢が事実上の国家戦略局担当として変則的な形ながらも政治主導の国家予算編成を成し遂げていた事実を記した。いったんは断念しかけた政治主導だったが、小沢の識見と人脈のおかげで、当初構想されていた形とは違うものの、貴重な政治主導による画期的な予算編成だった。

 その時期は2009年12月。しかし、年が明けた2010年1月15日、ひとりの国会議員が予想外の悲劇に襲われた。東京地方検察庁の特捜部に前々日から呼び出しを受け、この日逮捕されてしまったのだ。

 「最初、逮捕された時、何だろうと思ったんですね」

 この時国会議員だった石川知裕は、私のインタビューに答え、最初の感想を率直にこう話した。

 私が石川から話を聞いたのは北海道知事選よりかなり前のことになるが、細かいことにまで立ち至った私の質問にひとつひとつ丁寧に答え、インタビューは3時間近くに及んだ。

 インタビューの前にはいわゆる「陸山会事件」に関する本を10冊以上読み込み、補足取材もしていたため、質問と答えはかなり突っ込んだものになったと私は思う。答えにくい質問にも懸命に答えようとする姿勢は、石川本来の誠実な人柄をうかがわせた。

 この石川の話を中心に、「陸山会事件」とはどんなことだったのか、まずは事実だけを淡々と記しておこう。

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筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

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