元号を否定しない私が令和の使用を拒否するワケ
平成の危機的状況は何も変わらないのに「バンザイ!」を叫ぶお手軽な社会でいいのか
斎藤貴男 ジャーナリスト
地続きの歴史を勝手にリセットする元号

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元号にはもともと、そのような機能が備わっているように思われる。地続きの歴史を、多くの人々が、元号が変わったという一点だけを以て、勝手にリセットしてしまう。
くどいようだが、私は元号廃止論者ではない。日頃は地続きを地続きとして表現しやすい西暦を使っているが、これとて所詮(しょせん)はキリスト教暦でしかないのであって、欧米列強の世界支配とともに広げられたカレンダーなのである。元号だけを非難して、西暦を普遍的な真理と思い込むのは筋が通らない。元号のある国ならではの理想も希望も私にはあるけれど、それについての詳細は機会を改めるとして――。
元号には、リセット機能という心理的陥穽(かんせい)が付き纏(まと)う。維持する以上は、これを克服してこその人間の知性ではないかと私は考えるが、この陥穽は半世紀前にかえって正当化され、定着してしまっていた。
罪深かった「司馬史観」
罪深かったのは、いわゆる「司馬史観」だ。後に国民作家の異名を恣(ほしいまま)にすることになる司馬遼太郎氏は、政府が“明治100年”の大キャンペーンを展開していた1968年、サンケイ新聞(現、産経新聞)紙上で大河小説『坂の上の雲』を連載。秋山好古・真之兄弟に託して日本近現代史上における日露戦争の意義を礼賛する一方、太平洋戦争による破滅へと突き進んだその後を批判して、“明るい明治・暗い昭和”などといった、時代を元号で区切って評価する手法を流行させた。
どれほど面白く、売れた作品でも、「小説イコール史実」であるはずもない。明治期に端を発した大日本帝国への野望が、昭和前期の悲劇に直結したのだから、両者を対立させた議論が不可能なのは明白である。そもそも、朝鮮半島をはじめとするアジア侵略のただ中にあった時期の日本を、人間の成長譚における少年期のように描くこと自体が不遜で独善に過ぎていた。
にもかかわらず、司馬ファンの多く、あるいは指導的立場にいる人々が、こうした歴史認識をそのまま我がものとしていった。“明るい明治”のイメージは、負けない戦争と帝国主義の美化に通じる。いずれかの時点でそのことに気づいたらしい司馬氏本人が拒否し続けた『坂の上の雲』の映像化も、彼の死後、2009年11月からから11年12月まで、NHKのスペシャル大河ドラマとなって実現するに至った。