野球人、アフリカをゆく(2)大学で見つけた砂地のグラウンド。そこに牛が現れて……
2019年05月04日
「友成さん、ドアに気を付けてください!重たいので、指が挟まったらちぎれますよ!」
物騒なことを言われて、はっとした。
南スーダンの首都ジュバに着任して4日目に、初めての休日を迎えた。同僚に付き合ってもらい、宿舎から買い物に行こうとしたときのことだ。移動手段はトヨタランドクルーザー。しかし、これは単なる四駆車ではない。
南スーダンでは、これまで大規模な衝突が二度も起きたことから、今や平穏になったジュバ市内であっても、国連や援助機関の多くは今でも徒歩の移動を禁止している。移動するときは車に乗ることが義務付けられているところが多い。
私の所属先も同じで、さらに安全性を高めるため、移動手段は防弾車必須、としている。たとえ休日であっても防弾車の扱いを熟知しているドライバーが運転してくれる。同僚は「移動シェルターみたいなもんです」というが、外出していても、いざというときの安心感を与えてくれる。これはとてもありがたい。
「村上さんは、休日でもテキパキしているね。頼もしいわ」
二人を乗せて走り始めた防弾車は、宿舎を出て未舗装の道をゆっくり進む。
「普通の車よりも重たいので、雨期の軟弱な道だと、凸凹をさらに増幅させちゃうんですよね」
雨季だけに、ところどころに大きな水たまりもある。ジュバには下水施設がないため、乾いて蒸発するか、地面に浸透しない限り、そのまま残っている。車はサスペンションが効いてるものの、運転手は左右にハンドルをきりながら走るため、車体は上下左右に大きく揺れ動きながら走る。会話も途切れ途切れになって落ち着かない。シートベルトだけでなく、車内の取っ手をつかんでいないと、頭を天井や窓にぶつけてしまいそうだ。
そのうち、すっと車体が安定した。市内の幹線道路はアスファルト舗装なので、居心地よく走行できるようになる。
えっ?そんなレベルなのか。未舗装道路は雨季になると通行できなくなるところもある。物流や緊急時の対応など、さぞかし支障が多いだろう。
「村上さん。21世紀に入ってアフリカは経済成長した国がずいぶん増えてきたけど、南スーダンは、アフリカの最後尾を走る、ある意味、アフリカの昔ながらのイメージの国だね」
私の最初の海外赴任国ガーナは、21世紀に入り、石油などの資源を有効に活用して急激に発展し、2012年には経済成長率世界第一位に輝いた。二箇所目の赴任国タンザニアは、21世紀に入って年率5~7パーセントもの経済成長を継続させ、今や躍進するアフリカのトップランナーのひとつになっている。
同行してくれている村上は、2016年7月に大規模衝突が起きた当時、既に事務所員だった。その後2年もの間、隣国ウガンダに退避し、首都カンパラに拠点を構えて業務をし、私よりも一足早く、2019年8月にジュバに戻ってきた。間もなく3年近い勤務期間を終え、人事異動で帰国することが決まっている。
コニョコニョマーケット、という、どこかくすぐったい名前の市場は活気があった。野菜、果物が所せましと並び、大柄のマーケットマミーたちが、声をかけてくる。
「品物がすごい豊富だね!農民の多くが難民化して、農業がダメージ受けていると聞いてたけど、そんなことないじゃない」
と素直な感想を言うと、村上が曇った表情で言う。
「友成さん、それがですね、ここにきている野菜も果物も、そのほとんどが隣国ウガンダなどからの輸入品なんですよ。今、ジュバに入ってくる農産品に国内産のものはほとんどありません」
なんてことだ!日本の食料自給率が40%しかないと危機感を煽られているが、南スーダンはそれどころの話じゃない!
赴任前にこの国のことをいろいろ調べてきたが、こうして実際に生活を始めると、南スーダンの困難な実情を肌で感じるようになる。
野菜と果物がいっぱい入った買い物袋を抱え、再び防弾車に戻ってきた我々は、その後三軒のスーパーマーケットを回った。
「市内で外国人が安全に買い物ができるところはすごく少なくて、これ以外にも数店ありますが、今日回ったところだけで、たいていのものは入手できます」
と、歯切れ良く案内する村上。
「なるほど…。まあ、ジュバ市は、よく言えばコンパクトで便利だね」
と、前向きな言葉を探す私だが、
「でも、これは…すぐに飽きるな」
とつい本音も漏らす。
村上は、「ですよね」と同調しながら、「この後せっかくですから、街中を走ってみますか?」と提案してくれた。
村上は、運転手に適宜指示しながら、市内ガイドをやってくれる。
「あれが大統領府ですね」「このあたりが省庁街です」「これは、国立競技場です。サッカーの試合なんかに使われています」
説明を聞きながら、少しでも町の様子を覚えようと、私は窓の外の景色に目を凝らした。
「ん?村上さん、これは何?」
市内をあちこち動き回っているため、手元の市内地図のどこを走っているのか、さっぱりわからない。あきらめて地図を閉じ、ひたすら外を眺めていた私は、突然、あるものに目が釘付けになった。
茶系の石張りの古めかしい塀が延々と300メートル以上続く。ところどころに、高さ1メートル、幅30センチくらいの覗き穴のようなものが見える。粗い鉄格子がその穴にはめられており、人の出入りはできない。また走行している車から見ているため、その穴の向こうに何があるのかがよく見えない。
匂うな。
グラウンドの匂いがする。
窓が開かない防弾車の車内なのに、だ。
それは直感だった。
村上は私の尋ねを察して即答した。
「ああ、この塀(へい)は、ジュバ大学のものです」
「へー」と昭和のにおいのするダジャレを返しながら、間髪入れずに尋ねた。
「ジュバ大学って、車で入っていけるのかな?」
「さあ、どうでしょうか。セキュリティはしっかりしているみたいですけどね。入ってみますか?」
なに⁉ 村上さん、話がわかる男だ!ぜひ、頼む!
と即答したかったが、その一方で、「野球ができるグラウンドを探したいというはやる気持ちはわかるが、当面は抑えろ。着任早々、不審に思われる動きは控えとけ!」と頭の中でもう一人の冷静な自分が言う。
そこでぐっと言葉を飲み込み、「いや、いいよ」とあっさりを装って断りながら、「大学の構内にグラウンドとかあるのかな」とさりげなく核心的なことを訊いた。
「グラウンドはありますよ。昔スポーツイベントの会場になっていて、僕は入ったことがあります。結構広かったですね」
今日はまだ赴任4日目。買い物と市内の視察中だ。休日とはいえ、職場があるこの町を知るための時間は、半分仕事のようなものだ。我慢ができる年頃には、とっくになっている。
「今日はもういいよ。ありがとう。宿舎に帰ろう」
午後の早い時間、陽はまだ高い。
ただでさえ気温が高い中、自分の中で生じた胸騒ぎが身体を熱くしていた。
翌日の日曜日。再び村上と一緒に防弾車に乗り、今度は市内のレストランへランチに出かけた。
外国人が食べることのできる安全で清潔なレストランはそう多くない。出かけたのは、村上おすすめのトルコ料理屋だった。確かにおいしい。
村上は関西出身の猛虎党(熱烈な阪神タイガースファン)で野球好き。食事中は、藤浪投手の起用法や、二刀流としてエンゼルスで大活躍の大谷選手の話など、野球ネタばかりで盛り上がった。
しばし、ここが南スーダンのジュバであることを忘れそうなひと時だった。
「さて、この後、どうしましょうか?」
食事の清算も終わり、立ち上がりながら尋ねる村上に、私は間髪入れず「ジュバ大学にいってみたいな」と答えた。
我慢ができる年頃になっているはず、だった。だが、できたのはたった1日だけだった。
「いいですよ!日曜日は大学も完全に休みでしょうから、構内に入れるかどうかわかりませんけど、とりあえず行ってみましょう」
トルコ料理屋からジュバ大学は近かった。防弾車はものの5分くらいで、青い鉄製のゲート前についた。
村上が機敏に車を降りて、ゲートにいる門番と交渉する。
ほどなくして、ゲートが開いた。車内に戻ってきた村上は「JICAの者だと名乗ったら、OKと言ってくれました。この国のためにいろいろ協力しているJICAの認知度と信頼度は高いですからね。顔パスみたいなものです」と少し自慢げに言う。
「グラウンドがあるらしいから、そっちに向かってくれ」とドライバーに指示し、がたがた道を進む車の揺れに身を任せながら、フロントガラスの先に見える景色を思わず凝視していた。
校舎や事務棟などの建物の横をすり抜けると、突然、ぱっと目の前に空間が広がった。
きれいに整備された砂地のグラウンドだった。
「広い…」と思わずつぶやく私。
ゴールポストが2つあるサッカー場を中心に、周囲にもかなりの広さがあり、解放感がある。
日曜日のせいか、人は誰もいない。
グラウンドの端に車を寄せて止めてもらい、降りて歩いてみた。
平らで、なめらか。石ころも少ない。
これなら、野球もできる。
アフリカは広いから土地がいっぱいあると思われがちだが、実際のところ、空き地はあってもスポーツのために整地、整備されたグラウンドというのは少ない。あっても、石ころや草がはえ、土地も平らでないことが多い。それでも若者たちはそんな悪条件の場所で、サッカーなどを興じている。
それに比べて、ジュバ大学のグラウンドは、非常に状態がいい。
一緒に防弾車を降り、グラウンドに降り立った村上を残して、私はいったん車に戻り、携行したリュックの中に入れてあったものを取り出した。
「村上さん、キャッチボール、やろう!」
グローブ2つと、軟球1つ。
さんざん迷ったあげく、ダメ元で持ってはきたものの、使うこともなく、開かずの段ボールとなるだろう。そう覚悟していたのに、赴任5日目にして早くも開梱。
そんな背景など、知る由もない村上は、
「友成さん、用意がいいですねえ!南スーダンで初キャッチボール。これは歴史的一瞬ですね!」と弾むように返す。
ランチ時にたっぷり野球の話で盛り上がったせいか、すぐに野球モードにスイッチが入ったようだ。
南スーダンで「せめて在留邦人とキャッチボールでも」の夢が早くも叶(かな)った。
そんな二人のキャッチボールを運転手が不思議そうに見ている。気付いた私は、「トライしてみないか?」と誘った。
ちょっとはにかんだ運転手に、グローブを渡し、指をグローブに入れる作業を手伝いながら、「君は今から、南スーダン人として初めて野球に触れる歴史的瞬間の当事者だぞ」と伝えた。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください