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「夫婦別姓。僕は賛成だ」と小沢一郎さんは言った

元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界⑧剛腕・小沢さんのもうひとつの顔

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

小沢一郎さんを囲む新進党の女性議員たち。小沢さんの真後ろが小池さん。右隣り円。右端は扇千景さん=1997年10月1日拡大小沢一郎さんを囲む新進党の女性議員たち。小沢さんの真後ろが小池さん。右隣り円。右端は扇千景さん=1997年10月1日

小沢一郎さんとの二つの強烈な思い出

 先月末、自らが代表をつとめた自由党を解党して国民民主党に合流するなど、今も政治の一線で活躍する小沢一郎さん。1994年末に旗揚げした新進党でご一緒するようになって以来の付き合いだが、彼には二つの強烈な思い出がある。

 ひとつは愛媛県・松山市での“カーチェイス”。もうひとつは夫婦別姓法案の国会提出に一役買ってくれたことだ。

 なかでも、私がこだわってきた夫婦別姓に小沢さんが理解を示したことは、剛腕といわれ、“マッチョな”政治家に見られがちな小沢さんのもうひとつの側面として、印象深く記憶している。

小選挙区制での初の総選挙で東奔西走

 まずは、カーチェイスの話から始めよう。

 ときは1996年10月の総選挙。ある意味、小沢さんが中心となってつくりあげたともいえる新しい選挙制度、小選挙区比例代表並立制のもとでも初の衆院選にのぞんだ小沢さん(新進党結党から1年後の1995年末の党首選で新進党の第2代党首になっていた)は、新進党の候補を応援するため、文字どおり東奔西走、全国を駆け回っていた。

 そんなある日、私は小沢さんとともに、和歌山、徳島、高知、愛媛の4県を一日で回ることになった。まず東京から関西空港までJALで飛ぶ。ヘリコプターに乗りかえて和歌山県へ。2か所で応援演説をした。

「二階が今やっていることは、僕が昔やったこと」

新進党は江藤淳氏を呼び、箱根プリンスホテルで政策勉強会を開いた。その夜の懇親会で中西啓介さん(右から2人目)や藤井裕久さん(その左)と=1997年9月1日拡大新進党は江藤淳氏を呼び、箱根プリンスホテルで政策勉強会を開いた。その夜の懇親会で中西啓介さん(右から2人目)や藤井裕久さん(その左)と=1997年9月1日
 和歌山県では、地元の二階俊博さん(現自民党幹事長)が迎えにきていたが、「円さん、小沢さんと一緒に来てくれてありがとう」となぜかお礼を言われた。「女性議員は小沢さんを煙たがっているし、円さんと一緒だと小沢さんの女性人気も上がる」という理由らしかった。

 ホテルでの昼休みには、やはり和歌山県が地元の中西啓介さんも同席していた。彼は二階さんが座を仕切っているのを見て、露骨に嫌な顔をしていた。かつては小沢一郎さんの「第一の子分」と見られていた中西さんだが、当時は議員を辞職していて、この衆院選での復帰をねらっていた。自分の後輩と思っていた二階さんにお株を奪われて面白くなかったのかもしれない。

 あれから20年、小沢さんの“最側近”だった二階さんが、今や自民党の大幹事長である。小沢さんが私にしみじみ言ったことがある。「二階が今やっていることは、僕が昔やっていたことと同じだな」と。


筆者

円より子

円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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