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原武史「平成は天皇制を強固にした」

奉祝ムードに染まった日本社会。国民は「平成流」を支持し、天皇の求心力は増大した

石川智也 朝日新聞記者

「おことば」にはもっと疑義が呈されてしかるべきだった

 ――明仁上皇は以前から退位の意思を示していたものの政治がその声にこたえず、「おことば」はやむをえず意向をにじませたものとされていますね。日本の超高齢社会の問題にも触れ、あらためて国民への相互の信頼と敬愛を示したということで、「第二の人間宣言」と評価する人もいます。

 それは、政府内にも国民にも「天皇に退位をすすめるのは畏れ多い」というタブー意識がいまだに根強く残り、天皇制について自由に意見を言える空気自体がないからです。

 あの「おことば」は、1946年元日に昭和天皇が「現御神」であることを否定したいわゆる「人間宣言」よりもむしろ、1945年8月15日の「終戦の詔書」つまり「玉音放送」に類比できるものです。

 当時の鈴木貫太郎内閣は終戦に向けて政府をまとめることができず、非常手段として「ご聖断」を仰ぎ、ようやくポツダム宣言受諾に至った。玉音放送が流れるまでは、たとえこの戦争は負けると思っていても、公然と言える空気ではありませんでした。

 ところが、天皇が肉声で臣民に直接語りかけたあの放送が流れるや、絶大な効果によって、圧倒的多数が敗戦を受け入れました。その流れは、今回の退位をめぐる動きとよく似ています。

 終戦の詔書には「常ニ爾臣民ト共ニ在リ」「爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ」との言葉がありましたが、「おことば」にも「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり」「国民の理解を得られることを、切に願っています」という、よく似た言い回しがあります。

 上皇明仁が玉音放送を意識していたことは明らかだと思います。でも、それが天皇の持つ強大な権力が端的に現れたものだということを、どこまで自覚していたでしょうか。

 もう一つ着目すべきは、東日本大震災から5日後に天皇がテレビで述べた「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」です。震災に続いて津波や原発事故が起こり、人心が極度に動揺する最中に発せられたこの「おことば」は、人々の不安を和らげる絶大な効果を発揮しました。天皇が首相よりも大きな影響力をもっていることが明らかになったのです。

拡大JP東京駅で、安倍晋三首相の見送りを受ける上皇、上皇后=2019年4月17日

 2016年8月8日の「おことば」は、この前例を多分に意識しつつ、退位に向けて国民の圧倒的支持を獲得するために発せられたと見ることもできます。

 こうして見ると、「おことば」に対しては憲法学者や政治学者たちからもっと疑義が呈されてしかるべきですが、一部の左派以外に問題提起する人がほとんどいない。それどころか「天皇が個人、当事者として発言することは憲法上許容される」という趣旨の発言をした学者もいました。驚きです。

 ――「おことば」の内容で重要な点はもう一つ、「象徴としてのお務め」の内容に具体的に触れている点です。これについても、憲法に規定された国民主権の原則との矛盾を指摘していますね。

 憲法は「象徴」の定義についてなんら触れていません。一方、第4条は、天皇は憲法が定める国事行為のみを行うと定めている。実際にはそれ以外に様々な「公務」を行っており、この公務の位置づけをどうするかについては、ながらく議論されてきました。

 ところが、天皇明仁は「おことば」のなかで、「象徴としてのお務め」について自ら定義づけを行い、「国民の安寧と幸せを祈ること」と「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」を、二本柱として位置づけました。

 これは、宮中祭祀と行幸を指しています。ご存じのとおり、上皇明仁と上皇后美智子は天皇皇后時代、いや皇太子と皇太子妃時代から、この二つにまさに「全身全霊をもって」取り組んできました。

 特にこの行幸啓は、昭和天皇がほぼ手をつけなかった被災地訪問と慰霊の旅を通じて国民に寄り添う姿勢を印象づけ、天皇制の新たなスタイルを確立しました。全国津々浦々をくまなく歩き、避難所に作業着姿で分け入って自らひざまずき、目線を下げ、被災者一人ひとりの顔を見てじっくりと言葉をかける。これが「平成流」と呼ばれるもので、明治大正昭和にはあり得なかったものです。

 かつての行幸は、イデオロギー教育を施したうえで、多くの人々を動員して君が代斉唱や万歳や分列行進などをさせるものでした。天皇は抽象的なマスとしての臣民あるいは国民にのみ対し、具体的な一人ひとりの顔を見ていません。しかし平成の天皇皇后は、個々の国民との関係性をつくろうと努力してきたように見えます。

 このスタイルは、カトリック的な教育の背景を持つ上皇后美智子が皇太子妃時代から方向性を形作ってきたものだと僕はみています。

 ただ、そこに本当の意味での「交流」はない。声をかけるのは常に天皇の側からであり、国民が天皇に向かって意見を表明することはあり得ません。そのことじたい、象徴の地位を「主権の存する日本国民の総意に基く」と規定した憲法第1条と矛盾しています。その矛盾が、天皇が象徴の振る舞いとは何かを自ら定義してしまった「おことば」に表れています。

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筆者

石川智也

石川智也(いしかわ・ともや) 朝日新聞記者

1998年、朝日新聞社入社。岐阜総局などを経て社会部でメディアや教育、原発などを担当。2018年4月から特別報道部記者。慶応義塾大学SFC研究所上席所員を経て明治大学感染症情報分析センターIDIA客員研究員。共著に「それでも日本人は原発を選んだ」(朝日新聞出版)等

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