メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

保坂展人から野党へ 与党支持者を取り込むコツ

「せたがやYES!」で制した世田谷区長選。勝因は「与野党対決」の枠を超えたこと

保坂展人 東京都世田谷区長 ジャーナリスト

3選を決め、支援者らと喜ぶ保坂展人氏=2019年4月21日、東京都世田谷区太子堂

世田谷区長選挙を戦い終えて

 時代と人々の暮らしの海の中に、身体ひとつで飛び込んでいくのが選挙です。

 短時間に有権者と交わす言葉の片鱗や、握手を交わす時に見える瞬間の表情が語るものは、私の心の中に濃縮され、集積していきます。候補者としての私が語る「言葉」が浮遊し拡散するのか、それとも聴衆の心に届くのか、今回もドキドキしながらマイクを握り、語り続けました。

 4月21日投開票の世田谷区長選挙で、私は3度目の当選を重ねました。

 それでも、薄氷を踏むような思いで、これまでの2期8年間の営為が人々にどう伝わっているのか。いや「人々」ではなくて、ひとりひとりが織りなす「日常」にはたして届いていたのかどうか。普段は毎日10数通届くメールや、対話集会等の機会を手がかりに「自問自答」していたことに、直接の回答が示されるのが選挙期間であり、その集大成としての選挙結果でした。

 91万人の人口を数え、有権者数も74万人と全国でも桁違いの規模の選挙区で、駅頭で、スーパー前で、また団地の公園前で、選挙演説を続けました。いまだに昭和の時代の選挙スタイルと変わりませんが、ベランダから手を振る人を見つけ、そっと開かれたカーテンの隙間からかいま見える人影に手を振り返します。時には、ドアを開けて握手を求めて来る方々もいて励まされます。

有権者の声の数々

 4月14日(日)に告示された今回の選挙では、翌日の15日(月)から期日前投票が始まりました。

 すでに15日の午後、祖師ケ谷大蔵の駅前で演説していると、「さっき、入れてきたよ」「もう投票しました」という声がかかり、20分あまりでその数は5人にも及びました。まだ、選挙は始まったばかりです。

 4年前は、「期日前で入れたよ」と声がかかってきたのは後半になってからで、今回は手応えを感じました。60代以上の女性、70代以上の男性が多く、「このまま公平な区政を継続してほしい」「あなたになって世田谷区は良くなった」と声をかけてくれました。

 さらに、夕方以降になるとベビーカーを押した子連れの女性や夫婦が笑顔で近づいてきて、「おかげさまで認可保育園に入ることがかできました」という方が続きました。4年前は「まだ待機児童なんです。保育園をつくって下さい」という声も半数はありましたが、今回は明らかに減少しました。この8年間で、認可保育園を中心に113園・定員8500人分の保育園整備を続けてきたことの反映でした。

 街頭での対話の中で、ハッとする言葉をかけられました。「頑張りなさいよ」と声をかけてくれた初老の男性に、謝意を述べた上で「どうして応援してくれるんですか?」と聞いてみたのです。

 「これまでの行政は、一握りのボスを取り囲む関係者で情報を独占して『自分たちのための政治』をやっていたように感じるが、あなたになってから透明度が増した。このままの姿でしっかりやってほしい」

 短い言葉ながら、私の政治姿勢を概括するような鋭い評価に身が引き締まりました。 8年間の区政運営で掲げた「情報公開」と「区民参加」でしたが、私に向けられたこの言葉は心にズシンと伝わってきます。

普段は「良くなった」という声はあまり届かない

 自転車に乗った40代の女性は「あなたが区長になってから変わりましたよ。良くなりました」と言ってくれました。「どこが良くなったんだろう」と思って「どんなところですか」と聞くと、しばらく考えてからこんな言葉が返ってきました。

 「子どもが通っていた学校が明るくなって、のびのびしてきたことでしょうか」

 想像もしなかった点をあげてくれました。お子さんが小学校2年生まで前区長の任期で、3年生になってから私に代わると学校の空気が一変したというのです。

 「上から押しつけるのではなく、ひとりひとりの子どもの声を聞いてくれるようになり、笑顔が増えたと感じました」

 私は、先にあげたメール等で日常的に区民の声に接していますが、その多くは個別具体的な困り事であったり、行政の不備な点を指摘しての批判だったり、いささか感情のこもった厳しい叱責の声が続きます。普段は「良くなっています」という声はあまり届かないのです。

 選挙演説をしていると「区長がいる」と、「アルコール依存症の夫の扱いに悩んでいます。どうにか別居したいんですが…」という相談や、「あなたのことは信頼するけど、目の前の通りの違法駐車は何とかならないか」という苦情もありました。

 ただ、多くは8年間の区政に対しての肯定的な評価でした。普段は聞くことが難しい91万区民の生活実感や、希望や、熱意に触れた体験は、この先に大きな政策選択をする時に脳裏をよぎることになるだろうとの予感があります。

政策フォーラム「せたがやD.I.Y道場」の参加者ら。保坂展人世田谷区長(左から2人目)も加わった=2017年9月16日、同区の梅丘パークホール

「せたがや、YES!」「ほさか、YES!」

 4月21日(日)午後9時すぎ、世田谷区長候補である私の選挙事務所にタクシーで到着すると、車を降りる前に事務所内から「ワーッ」という歓声があがっていました。どうやら、NHKの開票速報番組で世田谷区長選挙の「出口調査」が画面に出たとたん、相手候補を大幅にリードしていることが分かった瞬間でした。

 選挙事務所は、熱気に包まれていました。「出口調査」のグラフで相手候補を大きくリードしていて、「きわめて優勢です」と出たことで勝利が間近に見えてきたのです。それでも、「当選確実」が出るまでの間に、テレビの画面を見ながら落ち着かない時間を過ごしました。

 応援団長の下平憲治さんが、「当確が出たら、万歳ではなく、この選挙戦から生まれたキャッチフレーズで掛け声をかけよう」と提案。「せたがや、YES!」「ほさか、YES!」と2度繰り返す練習をしてみようということになりました。

 つまり、リハーサルです。「当選確実が出ました」と大声で下平さんが叫んで音頭を取って、「せたがや、YES!」「ほさか、YES!」と2度繰り返して「練習はうまくいった」と思った次の瞬間でした。テレビ画面に「世田谷区長に保坂展人氏当選確実」とテロップが浮き上がってきたのです。それから、いきなり本番となり大騒ぎになりました。

 統一地方選挙の開票状況を伝えるNHKの番組で、この時の選挙事務所の模様は全国に放送されたようで、沖縄から、仙台から、高知から、金沢からと全国各地から次々とお祝いメールが届きました。

 こうして、私は3回目の当選を決めました。

カンパとボランティアで

 投票数は、18万9640票で、一方の三井みほ子さん(自民党推薦)は12万0898票でした。有権者総数は74万人で、投票率は43.02%、投票総数は32万266票でした。

 本来はもっと多くの人が投票してしかるべきですが、それでも2011年からの過去3回の世田谷区長選挙では、低いながらも投票率は微増しています(41.76%→42.83%→43.02%)。

 振り返ると、2011年、2015年と今回まで3回にわたって政党推薦を受けず、草の根市民に支えられた選挙でした。それにしても、91万都市・74万有権者に政策実績を届けるのは並大抵のことではありません。

 この選挙をカンパとボランティアで戦い抜くことが出来たのは、心意気に感じて集まってくれた皆さんの知力、労力、資力のおかげでした。私も、8年前の区長選への初挑戦と同様に緊張感を持ちながら、総力で戦いました。

 戦い終えて、指折り数えてみると9回目の選挙でした。衆議院5回(内当選3回)、参議院比例区1回(落選)、世田谷区長選挙3回(当選3回)と、すべての選挙に市民ボランティアが手弁当で結集して懸命の応援してもらいました。2003年の衆議院選挙で落選した直後、三軒茶屋の交差点に立っていると目の前に走ってきた車が止まり、女性が出てきて「あきらめちゃダメですよ。必ず再起して下さいね」と握手していったことも記憶に残っています。

「与野党対決」の枠を超えて

 メディアは「与野党対決」と書きたがります。たしかに、対抗する候補には自民推薦の三井さんしか出ていないのだから、「保坂氏は社民党衆議院議員出身で政党推薦は受けていないものの立憲民主党、社民党、共産党、生活者ネットが実質的な支援をする…」等と「構図」をなぞった新聞記事は事実の一部を伝えていますが、すべてではありません。

 前回と違って、今回の相手側は自民単独推薦で、公明党は自主投票を決めています。医師会、農協等の各種団体からの推薦状も続々届いていました。つまり、国政選挙で与党に投票する有権者が、「与野党対決」とメディアが大雑把な誘導をしても、必ずしも票が相手候補にまわるわけではないという構図となることは、4年前の選挙結果でも実証されていたことでした。

 選挙期間中の報道では、朝日新聞(2019年4月18日)が「『与野党対決』構図に変化」と、その点にふれています。

2009年まで衆議院議員を務め、11年の区長選で自民推薦候補らを破って初当選。『野党色』が強いが、前回に続いて今回も政党の推薦は受けない。選挙事務所には、自民支持層とされる医師政治連盟や農協など業界団体の推薦状が並ぶ。(中略)
前回は自民と共に対立候補を推薦した公明が、今回は「自主投票」に転換。教育分野などで「要望が予算に反映された」と公明区議は保坂区政に好意的だ。保坂氏は「『自民対非自民の対決』とメディアは言うが、私はそう思っていない」と支持の広がりに自信をのぞかせる。

 投票日当日、20時35分のNHK首都圏NEWS WEBは、「NHKの出口調査で、東京の世田谷区長選挙は、3期目をめざす無所属で現職の保坂さんが、三井さんを大きく引き離して、きわめて優勢です」と報じました。この出口調査の傾向がテレビでも伝えられ大歓声となりました。その後にテレビ画面に表示された世田谷区長選挙の政党支持別得票率を見ると興味深いことが分かってきます。

 「ふだんどの政党を支持しているか」という質問に対して、35%が「自民党」と答えています。画面に映し出されたグラフを見ると投票先は二分され「保坂45%」「三井55%」と読み取れます。「公明党」と答えた人は6%でしたが、「保坂55%」「三井45%」と逆転します。「立憲民主党」と答えた人は16%、「共産党」と答えた人は6%で、それぞれ90%近い支持を私が得ています。

 「特になし」とする無党派層は26%でしたが、ここでも私は60%を超える支持を得ていました。さらに、共産党、生活者ネットワーク、社民党、国民民主党、自由党、都民ファースト等の各党支持者の多くの支持が積み上がったものと推定できます。

 2期目の選挙も今回も、自民党・公明党支持層の半数近い得票を重ねてきたことに特徴があり、一見すると「与野党対決」に見えたとしても、現実の投票行動の「構図に変化」はその枠組みから大きく外れています。

 むしろ、「与野党対決」にこだわらずに幅広い支持を求めることが私の方針でした。

与党支持者の半数しか相手に流れなかった

 地方自治の焦眉の課題は、「福祉・介護」「教育」「子ども・子育て支援」等生活に密着した深刻で、切実な課題です。ここに、現職区長として有効に成果をあげて取り組んでいるかどうかが試金石となります。到達点を評価した人が多かったからこそ、与党支持者の半数ほどしか相手候補に流れなかったということになります。

 一方で、政党推薦をもらわなかったとはいえ、自主的に応援してくれる政党公認候補や、無所属候補とも街頭で相互にエール交換を重ねました。市民団体、労働組合も支持拡大のために自発的に動いてくれました。無党派層に「政策実績」が8年間の積み上げと、選挙期間の区議会議員選挙と連動した運動できちんと届いていったことも重要な要素です。このいずれも欠かすことなく、選挙戦を終えることができました。

 こうして、激しく戦った選挙は終わりました。これからは、区長としての日常を通して、人々の暮らしの中に入っていく時期です。「地域で皆さんの声を聞く、車座集会はやられますか」という声をかけてこられた60代の女性がいました。「もちろん、やりますよ」と答えました。

保坂展人・世田谷区長

傾聴活動としての車座集会

 1期、2期と当選直後にやったのが、27地区にあるまちづくりセンターを巡回する車座集会でした。区の広報紙に告知をして地区限定で希望者を募り、1カ所に20人から40人ほどが集まり、次々と発言してもらいます。車座集会と言っても私の演説はなく、参加者である区民の声を1人3分以内で話してもらい、可能な限りその場で回答します。

 これは傾聴活動です。1カ所平均で20人程度の方が発言します。27カ所まわると540人の声を聞くことになります。さらに、有権者名簿を使用して「無作為抽出型の区民ワークショップ」も行ってきました。こちらには、区の広報紙等にあまり目を通していない多くの区民にくじ引きで招待状が届き、1000人中50人前後の方々が都合をつけて出席してくれます。

 世田谷区の児童相談所の設立は、2020年4月と、あと1年を切りました。一時保護所も含めて、社会的養護のシステム自体を「子どもの権利条約」批准後の水準に引き上げようと考えています。

 雨水を下水に流す前に、大地や緑の力で受け止めるグリーンインフラで「都市の体質改善」に着手していきます。豪雨対策であると共に緑を拡充する効果を得ることができます。

 教育改革も必須です。「主体的で、対話的な深い学び」という文部科学省が学習指導要領に掲げた抽象的な指標を具体的にしていく取り組みを行います。オルタナティブ教育の特性を公立学校に導入することや、学歴・偏差値ではない「教育価値」を創出していく区民参加の場も重層的に準備していきます。

参院選への共通因子は何か

 まもなく、参議院選挙がやってきます。

・・・ログインして読む
(残り:約1254文字/本文:約7086文字)