野党は安保のこだわりから脱し、少子高齢化問題への対応で共闘をはかるべき
2019年05月10日
「令和」の時代が始まりました。まずは新しい時代に対し、皆さんと共に祝意を申し上げたいと思います。さて、10連休が開け、政治は参議院選、そしてもしかしてあるかもしれない衆参ダブル選挙に向けて動き出します。その際に焦点の一つとなる「安全保障問題」について、論じたいと思います。
安全保障問題は近年、特にここ数年間、政治の大きなトピックであり続けました。
平成27(2015)年成立の「平和安全法制」は当時、非常に大きな政治の争点であり、その後も大きな争点であり続けました。成立から3年強が過ぎた先般も、立憲民主、国民民主、共産、自由、社民の野党がそろって安保法制2法を廃止する法案を提出しましたし、元民主党の細野豪志議員、鷲尾英一郎議員が自民党に入ったときも、「安全保障問題についての意見の相違」を大きな理由に挙げました。
政治家ではありませんが、国際政治学者の三浦瑠麗氏が「国民が安全保障に対する当事者意識を持つ為に徴兵制が必要」という趣旨の著書を出版し、話題を呼んだことも記憶に新しいところです。
しかし、私はこれらのニュースを聞くたびに、そして様々な場面で喧々諤々の安全保障の議論をするたびに、言い出しづらい違和感を感じてきました。
「安全保障って今の日本にとってそんなに重要な問題ですか?」と。
確かに戦後から昭和の時代、安全保障は政治理念として重要でした。ですが、「選択肢」としてはさほど重要ではなかったように思います。終戦直後は国中が二度と戦争をしないという思いにあふれていましたし、それ以前の問題として、米ソ冷戦構造の中で、敗戦国日本には極東の安全保障について主要なプレーヤーとして行動する実力がそもそもなかった。また、アメリカをはじめとする諸外国も、日本がその役割を果たすことをまったく望んでいなかったからです。
昭和の時代が進むとともに、朝鮮戦争を契機にアメリカの要請に従うかたちで自衛隊が創設され、日米安全保障条約のもと日本はアメリカの世界戦略に組み込まれていくのですが、その間、一貫して政権を担い続けた自民党は、平和憲法、専守防衛の枠組みの中でアメリカから期待される役割を果たすという日本の立ち位置を維持し続けました。
その安保問題が、実質的な選択肢としてクローズアップされたのが、平成という時代であったと私は思います。昭和の高度成長とバブル経済の結果、日本のGDPはアメリカの7割に迫り、世界シェアの18%を占めるまでになりました。『ジャパン アズ ナンバーワン: アメリカへの教訓』が世界的なベストセラーとなり、その反動としての日本異質論がささやかれました。
平成の初期に、国連平和維持活動(PKO)への派遣の是非を巡って様々な議論がなされたのは、そうした文脈に沿ったものでした。平成4(1992)年には国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律、通称PKO協力法が成立しています。
その後、平成の時代が進むと、日本の周辺、すなわち極東は、中国の伸長と北朝鮮の瀬戸際外交によって世界の安全保障問題の一つの焦点となりました。そして、有事における日本とアメリカの役割分担の明確化を巡り、冒頭で触れた「安保法制」が国論を二分する大きな争点となり、最終的に平成27(2015)年9月19日に、与党の強行採決で成立しました。
しかし、その裏側で、平成の時代にはもう一つ、「世界における日本の地盤沈下」と「中国の急激な伸長」という、日本人にとってはあまり嬉しくない、大きな変化が生じていました。
と同時に、平成の初期に日本にその地位を脅かされたアメリカ経済は見事に復活し、現在アメリカのGDPは日本の4倍、防衛費に至っては日本の14倍、中国の4倍のダントツ世界1位となっています。極東の軍事バランスは、アメリカと中国の「2強」の対立構造に、平成の時代に大きく変化していったのです。
この現実は何を意味しているでしょうか。いわゆる「右派」の方々は、だからより一層日本は防衛費を増やさなければならないと主張します。しかし、いまこの時点でも、中国は毎年7~8%の割合で防衛費を増やし続けています。
日本が中国に防衛費、軍備の「規模」で追いつこうとするなら、中国を上回る10%程度の経済成長を続け、防衛費10%増を50年程続けなければなりません。それがおよそ現実的でないことは、誰の目にも明らかでしょう。
要するに日本と中国の軍事バランスは、平成の時代にすでに勝負はついてしまったのです。
日本が、支出できる予算の範囲でどれだけ軍事費を増やしたところで、極東における米中対立構造の軍事バランスにおいては、いわゆる「焼け石に水」に過ぎません。日本と中国の利害がどれほど対立しても、アメリカが支持しない限り、日本が単独で中国と衝突することは悪夢でしかありません。
逆に日本が中国とどれ程緊密な関係を築いても、考えたくもありませんが、いったん米中衝突という事態となれば、それを止めることはほとんど不可能でしょう。好むと好まざるとにかかわらず、令和の日本は、米中の新たな二極構造の中で、アメリカと共同歩調を取る以外の道は、現実的にありえないのです。
では、安保法制はアメリカとの共同歩調を取る上で必須であり、細野氏が4月22日のツイートで「共産党から国民民主党まで揃って安保法制廃止法案を提出。廃止すると、日米ガイドラインも即、見直し。日米同盟の根幹が揺らぐ。残念だが、野党の現状が現れている。私が野党連合に加わらないのは、安保の現実主義を貫くことができないから」と主張したように、安保法制の廃止は直ちに日米の共同歩調を傷つけるものでしょうか。
私にはそうは思えません。
極東の米中対立構造は、ある意味昭和の米ソ冷戦と同様の構造に回帰しており、アメリカとしては日本のスタンスがどうあれ、中国につかせたいとは思っていないでしょう。と同時に、現在のトランプ政権の「アメリカ・ファースト」で分かるように、日本がどれほどアメリカの主張を受け入れたところで、アメリカの利益が脅かされる事態にならなければ、おそらくはアメリカは動かないでしょう。
日本の安全保障にアメリカとの共同歩調がいらないという考え方が、極めて非現実的なのは論を待たないのですが、と同時に、アメリカの言うがままに共同歩調をとってさえいれば、日本の安全は保障されるというのも、実は楽観的に過ぎると私は思います。
私は、現在の安保法制を廃止したうえで憲法9条を盾に日本の防衛支出を可能な限り抑えつつ、しかし日米安全保障条約を基軸とした日米の共同歩調を取り続けることも、十分に現実的な政策でありうると思います。
では、そのような状況の中で日本は、どの様な選択肢を取るべきでしょうか。私は、
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