安保は令和の争点に非ず。大切なのは人口減対策
野党は安保のこだわりから脱し、少子高齢化問題への対応で共闘をはかるべき
米山隆一 衆議院議員・弁護士・医学博士
安保問題がクローズアップされた平成
確かに戦後から昭和の時代、安全保障は政治理念として重要でした。ですが、「選択肢」としてはさほど重要ではなかったように思います。終戦直後は国中が二度と戦争をしないという思いにあふれていましたし、それ以前の問題として、米ソ冷戦構造の中で、敗戦国日本には極東の安全保障について主要なプレーヤーとして行動する実力がそもそもなかった。また、アメリカをはじめとする諸外国も、日本がその役割を果たすことをまったく望んでいなかったからです。
昭和の時代が進むとともに、朝鮮戦争を契機にアメリカの要請に従うかたちで自衛隊が創設され、日米安全保障条約のもと日本はアメリカの世界戦略に組み込まれていくのですが、その間、一貫して政権を担い続けた自民党は、平和憲法、専守防衛の枠組みの中でアメリカから期待される役割を果たすという日本の立ち位置を維持し続けました。
その安保問題が、実質的な選択肢としてクローズアップされたのが、平成という時代であったと私は思います。昭和の高度成長とバブル経済の結果、日本のGDPはアメリカの7割に迫り、世界シェアの18%を占めるまでになりました。『ジャパン アズ ナンバーワン: アメリカへの教訓』が世界的なベストセラーとなり、その反動としての日本異質論がささやかれました。

与党などの賛成多数で安保関連法が可決・成立した参院本会議=2015年9月19日
一方、ソ連の崩壊で唯一の超大国となったアメリカが経済的に疲弊し、日本がアメリカが担ってきた「世界の警察」の役割の一部を肩代わりするのかしないのか、しないならその経済的負担を肩代わりするのかしないのかが、日本にとっても、そして世界にとっても非常に重要な選択肢となったのです。
平成の初期に、国連平和維持活動(PKO)への派遣の是非を巡って様々な議論がなされたのは、そうした文脈に沿ったものでした。平成4(1992)年には国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律、通称PKO協力法が成立しています。
その後、平成の時代が進むと、日本の周辺、すなわち極東は、中国の伸長と北朝鮮の瀬戸際外交によって世界の安全保障問題の一つの焦点となりました。そして、有事における日本とアメリカの役割分担の明確化を巡り、冒頭で触れた「安保法制」が国論を二分する大きな争点となり、最終的に平成27(2015)年9月19日に、与党の強行採決で成立しました。
日本の地盤沈下と中国の伸長
しかし、その裏側で、平成の時代にはもう一つ、「世界における日本の地盤沈下」と「中国の急激な伸長」という、日本人にとってはあまり嬉しくない、大きな変化が生じていました。

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平成の30年間、日本のGDPがほとんど変わらなかったのに対し、中国のGDPは30倍も増え、現在では日本のGDPの3倍弱となりました。そしてこの間、中国の防衛費は平成元年の200億元あまりから平成30年には1兆1069億元(約18兆4500億円)へと50倍に増え、アメリカに次ぐ世界2位、日本の防衛費(5兆1911億円)の3倍以上となったのです。
と同時に、平成の初期に日本にその地位を脅かされたアメリカ経済は見事に復活し、現在アメリカのGDPは日本の4倍、防衛費に至っては日本の14倍、中国の4倍のダントツ世界1位となっています。極東の軍事バランスは、アメリカと中国の「2強」の対立構造に、平成の時代に大きく変化していったのです。