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安倍首相と明仁上皇(上)

明仁上皇の思いは、安倍政権にはなく、沖縄とともにあった

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

天皇家と安倍政権の沖縄を巡る落差

 さらに、沖縄が「日本独立」からひとり取り残された裏には、昭和天皇をめぐるもうひとつ複雑な事情が隠されていた。

 1947年9月19日、側近の寺崎英成を使って連合国軍総司令部(GHQ)のシーボルト外交顧問を訪ねさせた。「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している」(1947年9月20日付マッカーサーあてシーボルト公文書、同22日付マーシャル国務長官あて同公文書)というメッセージを伝えさせたのだ。

 昭和天皇のまさに冷徹な意思を貫徹させたものと言えるが、様々な歴史資料をも渉猟する明仁上皇は、このような裏の秘史をも恐らくは熟知しているだろう。

 沖縄県民の側に立って、苦悩しつつ政府主催の式典に出席した上皇は、さらに「天皇陛下、万歳」の唱和に直面し、硬い沈黙の表情の裏で苦悩を味わっていたにちがいない。

 「沖縄問題に対する現政権の処し方と天皇陛下(明仁上皇)の見方とは全然違うんですよ」

 この時会議で相談を受けた参与の一人は、安倍政権と上皇の間に横たわる深刻な断層を指摘した。

 この記念式典が開かれる直前、私は、沖縄本島の米軍北部訓練場に接する東村高江地区を訪ねていた。オスプレイの着陸帯であるヘリパッドの建設地帯だ。現在、激しい建設反対運動が展開されている。

 その建設地帯にほど近い「土地」を訪ね、私は衝撃を受けた。平らな赤土が楕円形状に広がっているが、ほとんど植生がないのだ。太陽の光を浴びた赤土の上に、ぽつぽつとまばらな影を落としていたのは高さ30センチほどの小さな松だけ。まるで人工的に造られた空き地のようだった。

拡大ほぼ50年もの間、盆栽のような松しか生えていない土地。100人を超える米軍元将兵が沖縄での枯れ葉剤被害の救済を米政府に訴え、何人かは枯れ葉剤散布などを自ら証言。米陸軍の元高官は沖縄タイムズの取材に、1960年から2年間、北部訓練場内と周辺一帯で強力な枯れ葉剤「オレンジ剤」の試験散布を証言した。沖縄の施政権は1972年に日本に返還されたが、当時の佐藤栄作政権は、本来米国が負担すべき土地の原状回復費用を日本が肩代わりしてやり、さらにその事実を最後まで隠し通そうとした=沖縄県東村高江

 この北部訓練場は、これまでに部分的に返還されてきている。私が衝撃を受けた土地は、1960年代に米軍から返還されて以来、そのままの状態だった。つまり、ほぼ50年もの間、沖縄の太陽と雨の恩恵を受けながら、この土地だけはなぜかほとんど不毛の状態にあった。

 ベトナム戦争で使われ、先天的な奇形など重い障害と悲劇を生み出した枯れ葉剤がここで貯蔵されていたのではないか――。

 住民はそう疑っている。

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筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。最近著に『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)。その他の著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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