大野博人(おおの・ひろひと) 元新聞記者
朝日新聞でパリ、ロンドンの特派員、論説主幹、編集委員などを務め、コラム「日曜に想う」を担当。2020年春に退社。長野県に移住し家事をもっぱらとする生活。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
ナショナリズムは高まっていない。むしろ病んで衰弱し発熱しているのだ
社会は何も変わっていないけれど、今日から新しい時代――。一般参賀に14万人が訪れ、「平成」に感謝し「令和」の始まりを言祝ぐ。
実質とは関係なく形式だけで盛り上がる不思議な空気に、前回コラム『ノートルダムが燃えている…』で紹介した仏人類学者、エマニュエル・トッド氏の言葉を思い出す。
「今の社会にみんなで共有できるプロジェクトがなく、自分たちがどこに向かっているか、もはやわからなくなっていることの現れだ」
パリのノートルダム大聖堂の火災で人々の感情が高ぶっていることへのコメントだった。だが、それはフランスだけの話ではないようだ。
グローバル化で経済の先行きがさっぱりわからない。人口が減り続け、老いさらばえていく自分の国はそこを切り抜けられるのか。国の未来の不透明さが、自身の将来への視界も閉ざす。自分がたどるのはどんな人生か。不安の中で、自分が帰属し安心して暮らせる社会があり、なにかに同じ思いを抱ける同胞がいると感じられる瞬間があれば、確かめたい。
振り返ってみれば、平成の明仁天皇が人々から慕われたのも、国民の共同体が「分断」される時代にただ一人「統合」を守ろうとしていると見えたからではないか。
政治家や言論人の言説にさえ「非国民」「反日」という言葉がしょっちゅう登場し、首相自ら「あの人たち」と、国民の一部を遠ざける。だが、明仁天皇は政治的、社会的に周辺に追いやられる地域を回り、だれも見捨てないというふるまいを続けた。
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