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仏エリートの牙城の廃止を提唱したマクロンの勝算

黄色いベスト運動でENA廃止を提唱。格差の元凶、エリート支配は一掃されるか?

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

マクロン仏大統領が開いた初の記者会見=2019年4月25日、エリゼ宮(筆者撮影)

権力の苗床・ENAを廃止を打ち出したマクロン

 マクロン大統領ら政府の指導層を形成する富裕層に対する貧困層「黄色いベスト」の挑戦、フランスの“南北戦争”と言われる戦いは、目下のところ、「黄色いベスト」側の敗色が濃い。第26回目の5月11日の参加数は全国で1万8600人、パリで1200人(内務省発表と過去最低だった。

 「ブラック・ブロック」と呼ばれる正体不明の暴力集団の参加に嫌気がさしたうえ、5月1日のメーデーで、「赤」、すなわち共産党系である主要労組・労働総同盟(CGT)との共闘デモに参加したばかりで、デモ疲れをしていたことなどが理由に挙げられている。

 マクロンによる「黄色いベスト」への回答に満足していることも、ごく少数だが理由として挙げられている。その回答のひとつが、「権力の苗床」ともいわれる高級官僚養成所、国立行政院(ENA)の廃止だ。

初の記者会見でエリート支配の一掃を明言

AlexLMX/shutterstock.com
 マクロンは4月25日、エリゼ宮(大統領府)で記者会見し、「黄色いベスト」への回答を探すため、昨年暮れから今年3月中旬までフランス全土で実施した「大討論会」の結論を発表した。もともとは4月15日夜のラジオやテレビで発表する予定だったが、「ノートルダム炎上」の大悲劇で延期された。

 マクロンが、外国元首などと行う共同会見のほかに、内政に限った記者会見をエリゼ宮で行うことはほぼ皆無だ。2017年5月の大統領就任以来、この日の会見が初の本格的な記者会見だった。彼の記者会見嫌いは、記者からの厳しい質問を回避するためとも言われている。マクロンが「ジュピター(ローマ神話に登場する天地至高の神)」とのあだ名を奉られているのは、大統領に当選後、第一声を放ったルーブル美術館前での荘厳な演出や、上から目線的なエリート臭の強い言動にくわえ、記者会見をしないことも根拠に数えられている。

 この日は、「黄色いベスト」の不満、不平、不安の要因である「社会格差」に対し、主として税金問題で種々の減税を発表した。ただし、「大討論会」でも指摘された富裕層に対する特別税である「富裕税」の復活は拒否。「ロッシルド(ロスチャイルド)銀行出身の金持ちの味方・マクロン」という印象は変わることがなかった。

 ただ、「黄色いベスト」の不満のひとつである「格差」に関しては、「格差」を生み出す元凶のひとつでもある「ENA」の「廃止」を明言した。それだけではない。「大機構」と呼ばれる国家の主要機関、つまりENA出身の高級官僚が取り仕切る会計検査院や参事院(法制局と最高行政裁判所が合併した組織)、財政視察監視官、高等鉱山学院(MINES、ポリテクニックの成績上位数人が進級可の理工科系の超エリート校)などの廃止の検討にも言及した。要は、エリート支配を一掃するというわけだ。ちなみにマクロン自身は、ENA及び財政視察監視官出身だ。

国家的事業だったENA創設

 ENAは「国家の鏡」とも「権力の苗場」とも言われ、良くも悪くも、フランスという中央集権国家、国家的団結や国家権力が極めて強いこの国を象徴している。1958年の第5共和制発足以来、大統領はジスカールデスタン、シラク、オランド、マクロンで4人目だ。首相はシラク、ジュペ、ジョスパンなど9人を輩出。現政府でも、フィリップ首相、パルリ軍事相、ルメール経済相がENA出身、すなわち「エナルク」である。

 エナルクが注目されるようになったのは、1974年に誕生したジスカールデスタン政権からだ。大統領のジスカールデスタンと首相のシラクがエナルクのうえ、多数のエナルクが閣僚などの政府の中核を占めた。さらに、81年に発足した初の社会党政権であるミッテラン政権で、この傾向が一層強まった。

 60年代まで、秀才校出身のエリートといえば、ノルマリアン(高等師範学校卒)やポリテクニック卒だった。ENAは第2次世界大戦後の1945年に誕生したので、歴史が浅く、一般にまだ、知られていなかったからだ。創設者したのは、臨時政府時代の首相だったドゴール将軍。当初は、権力の座にアグラをかいている従来のエリート層を排除することが目的だった。

 そもそも、ENAは第2次世界大戦後のフランスの国家的事業だった。どういうことか。歴史をひもといて見てみよう。

ナチ・ドイツによる占領を招いたエリート

ドゴール氏
 ナチ・ドイツに占領されたフランスは、辛うじて戦勝国になったが、歴史家のマルク・ブロックは著書『奇妙な敗北』で、占領を許したのはエリートが責任を果たさなかったからだと指摘し、エリートを断罪した。エリートがダメな国はダメというわけだ。

 第2次世界大戦中、レジスタンスの「自由フランス」を率いて戦い、戦後、大統領になったドゴールもまた、真のエリート教育の必要性を痛感していた。戦前、政府の外交、国防のトップや議員らは、ヒトラーの侵攻を手をこまねいて傍観したばかりか、戦時中は対独協力に走り、結果的に国家を裏切ったからだ。

 ドゴールは、国家の土台であるべき高級官僚の間に、三色旗とラ・マルセイエーズに代表されるフランス共和国の理念「自由、平等、博愛」を死守する気概がまったくなく、理念とは正反対のヒトラーの全体主義、ユダヤ人殲滅(せんめつ)という人種差別、反人道主義に敗れたことをとりわけ重視し、高級官僚を養成する場所として、ENAの創設を決意したのである。

官僚の質とモラルの向上を最優先

 1945年10月9日に政令として発令されたENA創設の「趣意書」には、「行政の全面的改革は、たとえ1940年の事件(パリ陥落)前から課せられていたにせよ、遅延した。改革は急を要する……」と記され、戦後の復興には「国家に奉仕する官僚」の、質とモラルの向上が最優先事項であると強調した。

 政令にはENAの目的として、①国民的アイデンティティーの再建②官僚の社会的階級からの独立③国益最優先のため各官庁間の隔絶解消④政治からの独立――などが規定されている。ENAを出世の道具、踏み台にして、政界や財界への転身を図るなど、もってのほかだった。

 ENA設立のこの政令に署名したのは、

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