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戦争で領土問題は解決できるか

法的にも現実的にもナンセンスな丸山議員

岩下明裕 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授(国境学・ロシア外交)

  

記者会見で釈明する丸山議員=2019年5月14日、北海道根室市記者会見で釈明する丸山議員=2019年5月14日、北海道根室市

「戦争に負けた」という重み

 北方領土問題をめぐる丸山議員の発言が巷で大きな話題になっている。今回の事件の問題点は三層構造だ。第1に、酔っ払って取材中のメディアに割り込んで暴言を繰り返したこと(社会人のモラルとしての問題)。第2に、国会議員が公の場でこのようなことを発言したこと(公的な場で公人が発言することの重み)。第3に、領土を戦争で取り返そうという趣旨の発言を行ったこと。同一人物が通常、考えられない行為を同時に行っているので、混乱しそうになるが、この3つは区別して考えなければならない。第1の点についていえば、酔っ払って言ったこと、したことを不問に付そうとする日本社会のあり方が問われるし、第2については、公の場で発言することの意味を理解していない政治家が山ほどいることを思えば、驚くことでもない。

 ここではこの第3の点についてのみ考えてみたい。北方領土問題で聞き取りをすることの多い立場から言えば、戦争と領土の関係を口にされる方は少なくない。返還運動関係者にせよ、元島民にせよ、「戦争で領土を失った」「戦争に敗けた」という重みを確かに共有している。人によっては、「北海道も危なかった。島はそういう意味で犠牲になった」(スターリンが北海道分割計画を持っていたことを意味する)とも言う。だから「戦争でもしなければ島は取り返せないのかな」とあきらめがちにつぶやく人もいる。でも、普通、ここまでだ。

 多くの人は、「戦争をして取り返すなどありえない」「島を追い出された自分たちと同じ苦しみを、いまのロシアの住民たちに味わわせたくない」と考える。政府の立場も似ている。解決はあくまで平和的に交渉で、というのが基本だ。実際、長年の努力が実って、領土問題について交渉できる関係を日本はロシアと作ることに成功した。これは領土問題の存在そのものを当事国の一方が認めていない日韓の竹島や、日中の尖閣とはまったく異なっている。もちろん、交渉はしていても成果がみえない。ロシアの立場は強硬で、日本がのめない条件を次々と突き付けてくる。その前で無力感が漂い、交渉で領土を取り返す難しさを日々、実感することでストレスが高まるのは確かだろう。

納沙布岬(手前)上空からのぞむ北方領土の歯舞諸島=2019年1月納沙布岬(手前)上空からのぞむ北方領土の歯舞諸島=2019年1月

憲法違反以前に国際法違反

 ところで戦争で領土を取り返すということを今、世界はどう考えているのだろうか。日本のみならず世界中の国が受け入れている国際連合憲章では、国家間の「紛争」を解決する際には「平和的手段による解決」「武力の不行使」の原則が定められている。これは戦争を繰り返してきた国際社会の反省のもと、どうやって戦争をしないようにするかの議論を積みかさねてきた国際法の到達点でもある。総力戦として民間人が多数犠牲になった、第1次世界大戦の反省から「戦争の違法化をめざす」不戦条約が生まれた。だがこの条約は自衛戦争を否定せず、また宣戦布告なき武力行使、つまり事実上の戦争が続いた結果、第2次世界大戦はさらに大きな人的被害をもたらす。その反省から様々な条約が生まれたが、「武力不行使」なる原則が共有されたのも更なる反省の成果である。これは「紛争の平和的解決」と併せて、だれもが大学1年程度で習う国際法の基本である。要するに、領土問題などの紛争を武力で解決すると公言して、かつ戦争という名前でそれを行うのは明かな国際法違反であり、それを実行しようとする国など、ほぼどこにも存在しない。

 しかも、日本はその上に憲法で、さらに戦争についての厳しい規定を設けることになった。かつては自衛戦争でさえ、その名目ですべての戦争が起こりうるので有害な概念とする主張さえあった(吉田茂の1946年の国会答弁など)。さすがに現在は、自衛のための戦争は認められ、わが国の社会でも広く共有されているが、それでも自衛の範囲など解釈をめぐって議論はある。

 さらに日本の場合は、法律に加え、軍事的にも戦争がしにくい国になっている。自衛隊は基本的に防衛組織であり、これは日米安保とセットだから、攻撃面を担うのは米軍となる。つまり、自衛隊単独でどこかで自由に戦争ができる仕組みになっていない。北方領土の場合、さらに複雑となるのは、これは日本の施政権が及ばない地域だから、米軍は軍事的支援を日本にしないということだろう。「『固有の領土』を占領されているから、自衛のために戦争をする」という理屈をつけたとしても(丸山議員はその程度の理屈をも考えていないようだが)、米軍は動かない。日本の自衛隊単独で島に上陸作戦を行えるかどうかをみても、一時的にはロシア国境警備隊の守備の手薄な歯舞群島の一部を占領できたとして、そのあとのロシアの反撃はとても大きなものになることが予想される。

 「戦争の結果」を名目とし(もちろん、それは日本に取られたものを取り返したという詭弁だが)、今まで自分たちの領土でないものを「戦利品」として獲得したとする国である。ロシアの反撃は北海道にも及ぶだろう。では日本の施政権下にある北海道にロシアが入ってきたら果たして米軍は助けに来てくれるのだろうか。これはifであり、答えは誰にもわからない。日本政府としては当然ながら、同盟国の支援を前提にするだろうが。だが、いずれにせよ、この戦争で四島のロシア人たち、そしてわが道東の住民たちの多数が犠牲になるのは火を見るより明らかだ。

根室市で開かれた「北方領土の日」住民大会=2019年2月7日根室市で開かれた「北方領土の日」住民大会=2019年2月7日

米国は全力で阻止するだろう

 でもちょっと待ってみよう。だいたい、その前に、そもそも自国の利益に関係ない、遠い国同士の領土をめぐる武力対立に巻き込まれたくはない米国が、果たして日本単独による北方領土奪還計画なるものを認めるだろうか。おそらく米国は全力で阻止するだろうし、日本は米国との相談なしに、戦争など始めることはできない。だからこそ、冷戦時代、根室の納沙布岬から「北方領土を返せ」と右巻きの人たちが叫んでも、誰一人、軍事的奪還を試みようとはしなかった。いや、そもそも、それはできなかったのである。この国は自分の意志で戦争を放棄したし、また実態として自ら戦争をしない、できない国として70年以上を歩んできた。そこが、1969年にソ連が占領していたダマンスキー島(珍宝島)を、「自国領」への攻撃とし「自衛」の名の下で、奇襲により取り返しにいった中国とは違う。結果として、中国は1平方キロにも満たない珍宝島の奪還に成功はした。小さな島だが、この軍事衝突で数百名の兵士が犠牲になった。

 こう考えてくると、丸山議員の主張は、日本という国の理念や法的立ち位置からのみならず、現実的にもナンセンスだということがよくわかる。では彼はなぜそれを言い続けるのだろうか。おそらくは、自分の意志で戦争ができないこの国のあり方に不満があるに違いない。憲法改正で自衛隊を日本国軍として、戦争を紛争解決のための手段として位置付ける。ロシアと戦争をするつもりなのだから、韓国の支配する竹島の軍事奪還や海の覇権をめぐって中国との軍事衝突をも辞さないのだろう。

 だがその前には米国がたちはだかる。日米安保が深まれば深まるほど、日本はその軍事的な自由を失っていくのだから。

 私見を言えば、今回は口をつぐんでいるものの、丸山議員のいら立ちを共有する論壇人は少なくないように思う。昨今、政治日程のなかで議題化される憲法改正問題だが、万が一、その行きつく先が、日本を自由に戦争できる国にしたいということであれば、戦争とは何か、そして世界やわが国が今日までこれまで戦争にどう向き合ってきたのかを根本的に議論しなおした方がいい。