元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界⑩嫉妬の嵐の参院比例順位の決定
2019年05月19日
連載・女性政治家が見た! 聞いた! おもしろすぎる日本の政治
民主党結党大会が行なわれた1998年4月27日の夜、細川護煕さんに呼ばれて私は六本木のバーで、細川さんと向き合っていた。
そしてようやく、保守中道のそしてリベラルでもある民主党を誕生させることができたというのだ。
「その民主党を代表は執行部に入ってひっぱっていって下さるんじゃないのですか。船出したからって、政権交代を標語にしたからって、まだまだ代表のお力が必要なんじゃないでしょうか」
民主党をようやく作りあげた、後はよろしくとでもいうような細川さんに抗った。
「船頭が多いと船は難破するんですよ。総理を経験したような人間は身をひいたほうがいい」
この日のセリフはそのまま、3日後の30日、細川さんの議員辞職となって実現してしまう。朝、細川事務所から電話があり、ホテルオークラに来る時間があるかと問われた。
午前中に3社の雑誌取材と単行本の最後の原稿手渡しが入っているので、午後一番に行くことになった。細川さんが議員辞職したという連絡が入ったのは、その途中だった。
そうか、このことを早めに本人の口から伝えたかったのか――。
オークラに着くと、樽床伸二衆院議員も呼ばれていた。「お二人には報道される前に伝えておきたいと思ったんですが、すっぱ抜かれてもうニュースが駆け巡っているようですね」と細川さんは笑った。
私は3日前の夜の六本木が、私への事前報せだったとようやく気づいた。細川さんは1月に60歳、還暦を迎えていた。
国会に戻った。3時から議員総会。3時半からは本会議だった。
細川元総理、議員辞職のニュースは議員の間をかけめぐり、口々に感想を口にするが、その多くが否定的なものだった。ある女性議員は「我儘な殿様をボスに持つとあなたも苦労するわね。7月が選挙なのに」。私の横にいた寺沢芳男さんが私の代りに答えた。「そうですよ、私も円さんも改選組。迷惑な話です。党にとってはマイナスですよ」
寺沢さんは民主党の比例順位を気にかけていた。いくつかの党が合流した民主党で、比例の順位は誰がどういう体制で決めるにせよ、細川さんという後ろ盾を失うことは不利だと彼は見たのである。
民主党の党大会の直後から、間近に迫る参院選の改選組の決起集会的な政治資金パーティが至るところで行われていた。そこでの挨拶やシンポジウムのパネリストなどによばれて、私も全国をかけまわった。もちろん、国会も開会中で審議は忙しい。そんななか、細川さんの議員辞職に伴い、熊本県で衆議院の補選が6月14日に行われた。
佳代子さんは演説が抜群にうまい。次女の裕子さんは「我が家で一番演説のうまいのはママ」と笑っていたが、仕事はできる、人あたりはいい、演説させるとピカイチ。NPOでは資金集めまで一人で苦労を買ってでるという、超人的な佳代子さんだが、「ねえねえ円さんどうしよう、護煕さんがね、突然辞めちゃったでしょ。どうやって暮らしていけばいいのかしら」と言う。
「国会議員って失業保険っていうの?あれ、ないらしいのよ」
そうですね、ないですね。
「それに退職金もないんですってね」
そうそう。知事は任期の終了毎に退職金が出るけど、総理も国会議員もありません。
「ホント、大変。どうしようかと思っちゃって」
本当にかわいい人なのである。すごく優秀で気風の良い人なのに、なんか抜けていて。長年、女性のための政治スクールやスペシャル・オリンピックスを通じて付き合わせてもらっているが、こういうかわいいところに細川さんはほれたのかなあと思うことがよくあった。
細川さんの議員辞職から2カ月も経たない6月25日が参院選の公示日だった。小幅延長されたものの、通常国会は既に終っていた。
公示の2日前に比例の順位が決定、報告される。その夜、私の自宅に10数人が集まり、手料理の夕食をたべながら順位決定の報告を待っていた。旧党各党からのメンバーで構成された「7人委員会」で順位を決定する。
実は鹿野道彦さんから、委員会のメンバーには挨拶(あいさつ)に行ったほうがいいと忠告されていた。そこで、これまでの活動(出版物の発行部数、TVの出演回数、講演回数、ボランティア活動の受講者数、会員数ら、どれだけの票がとれるかを某広告会社に分析させたもの)のデータを一枚にまとめて、熊谷弘さんや畑英次郎さんらに持参した。
大半は、好意的にデータを見てくれたが、ケンもホロロの選考委員もいた。その一人は山花貞夫さんだった。「お時間のある時にご挨拶にうかがいたいのですが」とアポを入れようとしたのだが、「円さん、もう遅すぎますよ。他の人は食事の接待やそれは手を尽くしているのに、あなたは今頃、ただの挨拶ですか」と言われた。
「そうですか。でも、とりあえず候補者ですので、よろしくご配慮下さいませ。あとで資料を届けさせていただきます。ご覧いただけると幸いです」とニコッとお別れした。山花さんとはあまり面識もなかったが、それだけに憎まれるようなこともない。何がこういう仕打ちになるのか。
贈与や接待で順位を得ようというこの世界の常道から、私がはずれているからか……。そう当時は思っていたが、後日、久保亘さん(元大蔵大臣、日本社会党書記長)から、「そんな理由ではなかったと思うよ」と言われた。
細川政権ができた1993年衆院選で惨敗した社会党の委員長が山花さんであった。敗北の責任をとって委員長の辞意を表明したが、実は再選を狙っていた。しかしその戦略は頓挫し、村山富市さんが委員長となる。社会党は万年野党からせっかく与党になったものの、歴史的敗北のあとで社会党主導の政権作りは望むべくもなく、連立政権の進める政治改革の並列制にも大反対だったのに、最後は従うことになった。
つまり、同じ与党とは言え、「失うもの」をたくさん持っていた社会党は、「失うもののない」日本新党が面白くなかったのだ。「円さんを当選圏内に入れるようなことにくみしたくない思いが、山花に働いたんじゃないか。まあ、八つ当たりだ」と久保さんは笑った。民主党の参院会長として久保さんは「円さんの正義感と気っ風の良さがいいね」と、影に陽に後立てとなってくれた。
もう一人のケンもホロロは鳩山邦夫さん。「私に頼んだって無駄ですよ。熊谷さんが、円さんを強く推せばいいだけですよ」と言った。
さて、夜の10時すぎ、選考の7人委員会の結論は翌日に持ちこされるとの報告が入った。その時、密かに伝えてくれる人がいて、私は9位ということだった。細川さんから日本新党枠は3人で、1人は上位になるはずだと聞いていた。
日本新党の元企画調整本部長は「細川を馬鹿にしている」と怒り、おりたほうがいいと言う。細川さんのケータイに電話をいれてもでない。自宅に電話すると、「お仲人の高田好胤さん(元薬師寺管長)が亡くなられて奈良に行っていたので、今、疲れて寝てしまっている」とのこと。とりあえず明日まで待とうと、未明の2時に会をお開きにした。
翌朝早く細川さんから電話があった。「9位になりそうです」というと「そうですか、まだ決まったわけじゃないんでしょ?」とけっこう余裕のある声。11時近くになって畑英次郎さんから電話が入る。「円さん、順位が決定したのでお知らせします。3位です」
すぐさま細川さんに知らせた。
「良かったですね。2期目もがんばりなさい」
そして細川さんは企画調整本部長に言ったそうである。「果報は寝て待てと言うでしょ」
「円さん、今日は国会に行かないほうがいいよ」「えっ?どうしてですか?」
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