円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長
ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。
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連載・女性政治家が見た! 聞いた! おもしろすぎる日本の政治
民主党結党大会が行なわれた1998年4月27日の夜、細川護煕さんに呼ばれて私は六本木のバーで、細川さんと向き合っていた。
「日本新党を解党して以来、新進党で自民党に対抗するつもりでしたが、いろいろあったのは円さんも知っての通りです。このままではという思いで離党し、円さんのおかげでフロムファイブもできた。でもね、フロムファイブをつくるのが目的じゃなかったんですよ。あくまでも、次の大勢力をつくるための踏み台でね」
そしてようやく、保守中道のそしてリベラルでもある民主党を誕生させることができたというのだ。
「その民主党を代表は執行部に入ってひっぱっていって下さるんじゃないのですか。船出したからって、政権交代を標語にしたからって、まだまだ代表のお力が必要なんじゃないでしょうか」
民主党をようやく作りあげた、後はよろしくとでもいうような細川さんに抗った。
「船頭が多いと船は難破するんですよ。総理を経験したような人間は身をひいたほうがいい」
この日のセリフはそのまま、3日後の30日、細川さんの議員辞職となって実現してしまう。朝、細川事務所から電話があり、ホテルオークラに来る時間があるかと問われた。
午前中に3社の雑誌取材と単行本の最後の原稿手渡しが入っているので、午後一番に行くことになった。細川さんが議員辞職したという連絡が入ったのは、その途中だった。
そうか、このことを早めに本人の口から伝えたかったのか――。
オークラに着くと、樽床伸二衆院議員も呼ばれていた。「お二人には報道される前に伝えておきたいと思ったんですが、すっぱ抜かれてもうニュースが駆け巡っているようですね」と細川さんは笑った。
私は3日前の夜の六本木が、私への事前報せだったとようやく気づいた。細川さんは1月に60歳、還暦を迎えていた。
「ちょうどいい区切りです。これからは、晴耕雨読の悠悠自適の生活を湯河原でやるつもりです」
国会に戻った。3時から議員総会。3時半からは本会議だった。
細川元総理、議員辞職のニュースは議員の間をかけめぐり、口々に感想を口にするが、その多くが否定的なものだった。ある女性議員は「我儘な殿様をボスに持つとあなたも苦労するわね。7月が選挙なのに」。私の横にいた寺沢芳男さんが私の代りに答えた。「そうですよ、私も円さんも改選組。迷惑な話です。党にとってはマイナスですよ」
寺沢さんは民主党の比例順位を気にかけていた。いくつかの党が合流した民主党で、比例の順位は誰がどういう体制で決めるにせよ、細川さんという後ろ盾を失うことは不利だと彼は見たのである。
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