瑞々しさに溢れた故郷での日々
ジュディさんが語った故郷での日々は、瑞々しさに溢れたものだった。父親は自家製のものしか食べない人だったという。家族の食べる分の野菜は自分たちで栽培し、はちみつ、チーズなども全て家でまかなっていた。父の好む食べ物で、ジュディさんたちもまた、育ってきた。「自宅近くに果樹園があったので、そこに朝テーブルを出し、焼き立てのパンを工場から持ってくるんです。菜園でとれたトマトやキュウリを手摘みで一緒に食べていました。摘んだばかりの野菜はやっぱり、鮮度が違うんですよ」。朝食を済ませた後は各工場などを回ったり、それぞれの作業を手伝ったりしながら日々を過ごしていた。
ジュディさんが暮らしていた街は、私もシリア取材の拠点にしたことがある場所だった。街中にはキリスト教の教会もあり、クルド人、アラブ人だけではなく、アルメニア人や異なるバックグラウンドを持った少数派のコミュニティーも存在する。「誰が何人で、どんな宗教を信じているのか、当時は意識をしないほど隣り合って暮らしていました」。

朝ごはんに立ち寄った、ハサカ県の街中の食堂
その中でもクルド人は、シリアの人口の10%前後とされ、ハサカ県を含めたシリア北部のトルコ国境地帯を主な居住区としている。ジュディさんも、その一人だ。クルド人はシリアが戦乱の波に飲み込まれていく以前から、差別的な処遇や不利益を被ってきたことが指摘をされている。「政府側から私たちの土地を割譲させようという動きがありました。大事にしないためにも、一部の土地や収穫したものを差し出していました。そうした干渉は、クルド人だからという一面はあったかもしれません」。