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小沢一郎「憲法や民法の原則論は誰にも負けない」

(11)弁護士を目指して司法試験に挑むが、父の急死で選挙へ

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

CIAに援助された岸信介

 宗主国の米国、属国の日本という「疑似構造」観は白井聡著『永続敗戦論』(2013年3月、太田出版)で一般に広まったが、偶然にもこの著作刊行とほぼ同時期に私自身も米国などに取材し、同じ「疑似構造」の下にある日本の政治状況について、当時所属していた「週刊朝日」に連載したことがある。『「星条旗」下の宰相たち』というタイトルで、戦後日本の首相たちが米国国旗の圧迫の下でどのような政治を行ってきたかという連載だった。

 取材の対象としたのは、吉田茂、岸信介、佐藤栄作、田中角栄の4人。中でも岸信介には、安倍晋三首相との関連もあり、全6回のうち半分の3回分を割いた。

 安倍首相の祖父にあたり、安倍首相がトランプやオバマにゴルフクラブを贈るのは、祖父がアイゼンハワーとゴルフで打ち解けた関係を築いたというエピソードをなぞったものだ。今回の来日でも、安倍首相は大相撲観戦前にトランプとゴルフに興じており、文字通り祖父の歩いたコースを外れる気持ちはないようだ。

 私は、岸とアイゼンハワーが対戦したワシントン郊外のゴルフクラブを訪ねたり、岸や弟の佐藤栄作が子ども時代を過ごした山口県田布施町を歩き回ったりしたが、取材の中で最も力を入れたのは、米国立公文書館での機密書類渉猟だった。

 とは言っても公文書館に眠る「岸信介ファイル」は拍子抜けするほど中身のないものだった。米中央情報局(CIA)が岸について作成した資料はわずか5枚しか入っていなかった。米機密資料に関して私をコーチングしてくれた加藤哲郎・一橋大学名誉教授によれば、これは膨大な非公開資料が裏に横たわっている証左だった。

拡大1955年にヤンキースタジアムを訪れた岸信介氏

 私はすぐにアリゾナ州ツーソンに飛んだ。アリゾナ大学の歴史学研究室で教鞭を執るマイケル・シャラー教授は米国務省の委員を務め、戦後日本関係の非公開資料に目を通し、国務省に参考意見を述べる立場にあった。

 この時のシャラーの話によれば、CIAから岸に対しては、経済団体や企業を通して資金が流れた。シャラーだけではない。元共同通信社特別編集委員の春名幹男は、対日工作に直接関与したことがあるCIA元幹部から、岸本人に資金提供した事実を確認している。

 さらに、CIAから自民党への秘密献金をスクープしたニューヨーク・タイムズ記者のティム・ワイナーは、著書『CIA秘録』の中で、「CIAは1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった」「(巣鴨拘置所からの)釈放後岸は、CIAの援助とともに、支配政党のトップに座り、日本の首相の座までのぼりつめるのである」とまで記している。

 その岸が首相時代に残した最大の仕事は日米安全保障条約の改定だろう。対等条約を演出するために、日本における米軍の核装備や在日米軍基地から海外への戦闘出撃の際には「事前協議」をするということが前面に出された。

 しかし、その協議の可能性などはまったく存在する余地がないということが我部政明・琉球大学教授の研究によって明らかになっている。我部教授の研究によれば、この時代の日米間には数多くの密約がある。

 安倍首相が歩いている道は、岸の道に似ている。大相撲の枡席やゴルフコースで密約が語られているとは思わないが、イージス・アショアやステルス戦闘機F35など高額な米国製兵器を次々に買い上げ、トランプをはじめとする米国軍需産業関係者を小躍りさせている。

 アイゼンハワーからトランプに連なる共和党など米国保守層は、岸から安倍につながる属国の「疑似構造」を見て満足感に浸っているだろう。


筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。最近著に『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)。その他の著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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